代謝・内分泌系
2025/12/07

CASE65:嚥下障害や胃食道逆流症を呈する生後8ヶ月の乳児の噴門造設術+胃瘻造設術後の低血糖を見逃し、心肺停止から重篤な後遺症を残した事例(一審勝訴・判決確定)

 Aさんは、市内のBクリニックで生まれ、出生後すぐに、喉頭の狭窄音と陥没呼吸が見られたためにC大学病院に緊急搬送されました。C病院では、嚥下障害、低緊張、驚愕反応等から先天性代謝異常や神経伝達物質の異常を疑って各種検査が行われましたが、原因は特定できませんでした。
 生後8ヶ月目に、嚥下障害及び胃食道逆流症に対して、腹腔鏡下噴門造設術+胃瘻造設術が行われました。
 手術終了直後の午後2時40分に採取された血液は、14mg/dlという著明な低血糖を示していましたが、病院スタッフはこの異常に気づかず、低血糖に対して何の処置も行ないませんでいた。
 手術の翌朝午前8時の採血では、血糖値は23mg/dlであり、スタッフもこの時点で低血糖に気付きました。この時点からブドウ糖の補給が開始され、午前11時の採血では血糖値110にまで回復しました。
 しかし、この午前11時時点の血液生化学検査では、CK値3820という異常高値が示されていました。アイソザイムの結果は、CK-BB29%というちょっと見たことのないような異常を示しています。
 同日午後7時頃、スタッフが採血のためにAさんを観察したところ、自発呼吸がほぼ消失しており、気管内挿管が行われました。午後9時12分に撮影された頭部CTでは、基底核、視床の一部をのぞく脳全体のびまん性の低吸収、脳腫脹によるくも膜下腔の顕著な狭小化が認められ、急性低酸素脳症、急性虚血性変化が示唆される所見とされています。
 その後、Aさんはほぼ脳死状態となり、6年半後に亡くなりました。

 過失の点では、CASE43:腹壁破裂で出生した生後4ヶ月の乳児の腸管癒着剥離+回腸瘻造設術後の低血糖を見逃し、呼吸停止から重篤な後遺症を残した事例とほぼ同様の事案であり、手術直後の血糖値14mg/dlという異常値に気付かず、翌日の午前8時過ぎまで、約17時間にわたって何の措置も講じなかったC病院の過失は明らかです。この点について、病院側は一応争う姿勢は見せたものの、実際には何の反論もしませんでした。
 問題は、この約17時間何の措置も講じなかったことと、Aさんの脳障害との因果関係です。
 

 本件については、提訴前に産科医療補償制度の認定請求を行っています。Aさんの障害がこの制度の補償対象になるかどうか、あまり確信はなかったのですが、Bクリニックで、CTG上胎児心拍基線細変動の消失が認められて帝王切開が行われたといった経緯もあったことから、申請してみました。

 

 幸い、同制度による補償が得られました。原因分析報告書は、Aさんの脳性麻痺の原因を以下のように分析しています。

① 脳性麻痺発症の原因を解明することは極めて困難な事例であるが、先天異常に関連した中枢神経障害の可能性があると考えられる。

② 生後8ヶ月に生じた重篤な低血糖の持続が中枢神経障害を増悪させたと考える。

さらに、②の理由は、以下のとおりである。

ア 生後8か月での腹腔鏡下噴門形成術、胃ろう造設術当日に血糖14の高度低血糖を認めた。

イ 術後1日に血糖23の高度低血糖、瞳孔散大、自発呼吸の消失、低血圧(40/20)を認めた。

ウ 頭部CTで脳浮腫が認められ、この所見は原因分析委員会では高度低血糖が遷延したことによると考えられると判断する。

エ 術後6日の脳波検査で、平坦な脳波が前誘導で持続していた。

オ 生後10ヶ月、1歳6ヶ月の頭部MRIで、brain death様所見が認められた。

 原告側は、基本的に上記ア〜オに従って、因果関係を主張しました。
 これに対してC病院は、徹底的に争いました。
 ブドウ糖の補給によって速やかに低血糖が改善したことからすれば、17時間にわたって低血糖が持続したとは考えられない。
 低血糖による脳障害であれば低血糖が持続している間に意識障害や交感神経刺激症状がみられるはずのところ、翌日午後7時頃にスタッフが自発呼吸ほぼ消失の状態で発見するまで、Aさんにはそのような症状はなかった。
 低血糖による脳障害の場合、MRIで後頭葉を中心とした異常がみられるところ、AさんのMRI所見は全脳にわたってびまん性に障害された所見であり合致しない。
 以上のような理由で、C病院は低血糖見逃しとAさんの脳障害の因果関係を否定し、Aさんの脳障害は、なんらかの先天性の障害が原因となって発生したものと主張しました。

 

 判決(福岡地裁令和2年3月27日)は、低血糖状態が一定時間以上継続すると脳が不可逆的な損傷を受けるという医学的知見と、低血糖が持続していた時間帯とCK−BBの異常がみられた時刻が近接していること、また、Aさんに神経系の先天性疾患があったとしてもそれが低血糖の持続とは無関係に増悪し高度の脳損傷をもたらしたことを具体的にうかがわせる事情はないことなどを挙げて、低血糖とAさんの脳障害との因果関係を認めました。

 一方で、Aさんの先天性疾患からすれば本件過失がなければ長期の入院加療が不要であったとはいえないとして経済的な損害を否定し、Aさん死亡に至る経緯には先天性疾患も大きく影響したと考えられることなどを考慮して、本人の慰謝料600万円、両親の慰謝料各100万円を認容しています。

 

 この判決は、当事者双方とも控訴しなかったため、確定しました。

 医学的にみると、Aさんの術後の経過が、低血糖のみにもとづくものであったかどうかは難しい問題であると思われます。CASE43の基礎疾患が、腹壁破裂という治癒可能なものであることがはっきりしていたのと比較して、このケースではもともとの基礎疾患が何であったのか、最後まで分かりませんでした。

 しかし、14mg/dlという低血糖を見逃し、17時間にわたって放置してしまった過失があまりにも明らかであり、病院側としても控訴しにくかったのではないでしょうか。

 なお、産科補償制度を利用したケースとしては、CASE16:アプガースコア5点(心拍2点、筋緊張1点、反射1点、皮膚色1点)で生まれた新生児に対する蘇生の不手際で、脳性麻痺等の後遺症を残した事例も紹介しています。これも、因果関係の点で、原因分析報告書が役に立ったケースでした。

 

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