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2026/09/08

和泉式部⑦〜日記と帥宮哀傷歌群

 心に残る和泉式部の歌を数え上げればキリがありませんが、名作がもっとも高い密度で集中しているのは、和泉式部日記と、それに続く帥宮哀傷歌群でしょう。

 

 大雨の朝、「宵はいかが」と、宮よりある御返事

   夜もすがら何事をかは思ひつる窓うつ雨の音を聞きつつ (正集229) 

 窓の外は闇。降りしきる雨の音。硝子窓に映る思い詰めたような女の顔と、窓を伝う雨滴が重なります。もちろん、この時代に、硝子窓はありません。そんな時代錯誤な空想を誘うほどに、心に沁みるものがあります。とうてい、千年前の歌とは思えません。

 

 

 月明かき夜、人に

  こころみに雨も降らなん門過ぎて空行く月の影やとまると (正集883)

 ここで人、というのは帥宮。久し振りに訪ねてきてくれたものの、式部のまわりに他の男の影を感じて、泊まらずに帰って行く帥宮に詠みかけた歌です。

 

 

 和泉式部日記の九月二十日あまりの記事には、「有明の月の手習文」と呼ばれる文章が含まれています。「風の音、木の葉の残りあるまじげに吹きたる、つねよりもものあはれにおぼゆ」で始まるこの文章は、帥宮が式部を訪ねてきたのに会えないまま帰って行った翌朝、式部から帥宮に送られたものであり、和泉式部日記のクライマックスとも言える記事です。

……妻戸をおしあけたれば、大空に、西にかたぶきたる月の影、遠くすみわたりて見ゆるに、霧りたる空の気色、鐘の声、鳥の音一つに響きあひて、更に、過ぎにし方、今行く末のことども、かかり折りはあらじ、と袖のしづくさへあはれにめづらかなり。

  われならぬ人もさぞ見ん長月の有明の月にしかじあはれは(正集897)

ただ今、この門をうちたたかする人やあらん、いかにおぼえなん、いでや、たれかかくて明かす人あらむ。

  よそにても同じ心に有明の月を見るやとたれに問はまし(正集898)

 

 この手習文には五首の歌が含まれており、帥宮からは時をおかずして、その五首に対する返歌が届いています。こういったやりとりからは、式部と帥宮が、恋人同士であっただけではなく、一つの世界を創造する協力者としての関係にあったことが窺われます。

 式部にとって、その協力者帥宮の死は、二人で築き上げた歌の世界が、すべて過去のものになってしまったことを意味していました。

 

 和泉式部続集に収録されている、帥宮哀傷歌群と呼ばれる約120首の歌は、帥宮没後の1〜2年の間、和泉式部日記の執筆と並行して詠まれたものではないかと考えられています。

 

 師走の晦の夜

   なき人の来る夜と聞けどきみもなしわが住む里は魂なきの里 (続集41)

 帥宮が亡くなったのは、寛弘4年(1007年)10月2日です。それから約2ヶ月後に迎えた大晦日。

 大晦日は、亡くなった人の魂を迎える日とされているのに、帥宮は、戻って来ない。わたしの住んでいるこの場所は、魂のない場所なんだろうか。

 

 使はせ給ひし御硯を、同じ所にて見し人の乞ひたる、やるとて

   飽かざりし昔の事を書きつくる硯の水は涙なりけり (続集84)

 ここで書いている「昔の事」というのが、おそらく、和泉式部日記なのだろうと思われます。

 帥宮が使っていた硯を欲しがった人とは誰だったのか。そんな大事な形見をあげてしまっていいのか、と言いたくなるところですが、式部にとって大事だったのは、そのような品物ではなかったのでしょう。

 

 なほ尼にやなりなまし、と思ひ立つにも

   捨てはてんと思ふさへこそ悲しけれ君に馴れにし我が身と思へば (続集51)

   思ひきや在りて忘れぬおのが身を君がかたみになさむものとは (続集52)

 

 帥宮の形見は、生きているわが身。

 わが身に刻み込まれた、帥宮との愛の記憶。

 だから、それを捨ててしまうことは、できない。

 

 つくづくとただ惚れてのみおぼゆれば

   はかなしとまさしく見つる夢の世をおどろかで寝る我は人かは(続集61)

 儚い夢の世、というのは、愛する帥宮を失った現実の世界。帥宮のいた世界と、帥宮を缺いた世界との落差の中に、ぼんやりと生き続けていることを、夢から覚めないままで眠っているものと感じ、そのように生きている自分を、それでも人間といえるのか、いまでもあたしは人間なのか、と訝る。

 この歌の「夢の世」という言葉は、そのまま、「夢よりもはかなき世の中を嘆きわびつつ暮らすほどに」という日記の書き出しに繋がるように感じられます。日記の時系列からいえば弾正宮没後の喪失感が表現されているように読めますが、それを綴る式部を実際に覆っていたのは、帥宮没後の喪失感でした。

 

 帥宮哀傷歌群には、「昼しのぶ」、「夕べのながめ」、「宵の思ひ」、「夜中の寝覚」、「暁の恋」という五つのテーマからなる五十首歌が含まれています。

   いとへども消えぬ身ぞ憂き羨まし風の前なる宵のともし火(続集134)

 

 この、いまにも風に吹き消されてしまいそうな宵のともし火は、その後も燃え続け、他の追随を許さない歌の世界を織りなしていくことになります。

 

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