AさんがB病院産婦人科に入院したのは妊娠38週4日の時期でした。5年前に同じ病院で長女の出産を経験しています。2年前の妊娠は流産してしまいました。今回も、妊娠がわかってしばらくして、頚管無力症との診断でシロッカー手術(子宮頸管縫縮術)をしています。
入院当日にシロッカー糸の抜糸をして、翌日午前9時10分からオキシトシン(分娩誘発剤)点滴開始。毎分2.5㎜Uから開始して、以降、30分おきに、5㎜、10㎜、15㎜と増量を重ね、11時10分に20㎜Uまで増やしています。
午前11時28分自然破水、以降、強い痛みの訴えあり。
午前11時39分頃から変動一過性徐脈、同56分頃から遅発一過性徐脈。このあたりのCTGの読み方については、かなり争いがありました。
午後0時15分頃、児心音70に低下。オキシトシン中止。
午後0時23分頃、子宮口開大度8〜9、児頭位置−3。
午後0時30分頃、ここではじめて主治医が診察し、急速遂娩を決定。
午後0時40分頃から、クリステレル併用での吸引分娩を数回試みますが、「児頭が高かったため娩出できず」とカルテに記載されています。
午後0時55分帝王切開決定。午後1時19分帝王切開開始。お腹を開けてみたら、子宮が破裂していて、胎児の顔が一部見えており、胎盤も部分剥離していました。
午後1時21分娩出。出生直後のアプガーは2点(心拍以外は0点)です。気管内挿管を行って、新生児の専門医のいる病院に搬送。搬送先で、食道挿管になっていることが判明しました。
結果的には、重度の脳性麻痺で、精神遅滞、てんかん、痙性四肢麻痺の後遺症を残しました。一審判決当時6歳で、首もすわっていない状態でした。
訴訟での争点は、まことに多岐にわたりました。分娩誘発の適応、分娩誘発にあたっての説明義務、オキシトシンの投与量及び増量の適否、分娩監視記録における胎児心拍数曲線・陣痛曲線の評価、過強陣痛の有無及び子宮破裂の原因、吸引分娩及びクリステレル圧出法の適否、食道挿管になったのはいつか……。
結論的にいえば、11時56分以降、陣痛ごとに遅発一過性徐脈が現れるようになり、妊婦も強い痛みを訴えていたのに、12時15分に至るまでオキシトシンを中止しなかった過失及びその過失と子宮破裂〜胎児の低酸素状態との因果関係を認めた高裁判決が確定しました。
この事件の一審判決(福岡地裁平成11年7月29日判決)は判例時報1728号及び判例タイムズ1053号に、控訴審判決(福岡高裁平成6年12月1日)は判例時報1893号に掲載されています。
2009年に産科医療補償制度が発足し、本件のような産科事故については、責任の有無にかかわらず、一定の補償が行われるようになりました。補償対象になった事故については原因分析が行われ、同種事案の再発防止策が提言されます。
この制度発足時、その功罪について様々な議論が交わされました。事務所ブログ「公開討論会『産科医療補償制度の本質を議論する』」等で紹介している議論がその一つです。
確実にいえることは、この制度発足以来、産婦人科の医療過誤訴訟が激減したことです。最高裁のHPで、制度発足前である2006年と、制度発足から13年を経た2022年の診療科別既済件数の統計をみると、2006年の既済件数中産婦人科の事件が162件もあったのに、2022年は49件です。全体の中で割合も、2006年には約14.5%を占めていたのに対し、2022年には約6.4%です。
わたしたちは、分娩誘発剤投与中の経過観察が問題になった事案を、本件以外にもたくさん経験してきました。ほとんどのケースで、微量から開始し、一定の時間をおいて増量し、分娩までには最大量まで増量されていました。その間、主治医は観察しておらず、助産師のみの対応であったことも同様です。
微量で開始して、一定の時間をおいて増量していくというのは、分娩誘発剤に対する感受性が人によって異なるからであるはずです。つまり、最大量は1分あたり20㎜Uだけれども、全員にその最大量を使う必要はない、むしろ使うべきではない。少しずつ増量していって、その人に適した量に達したらそれ以上は増量しない、それがこのような使用法の趣旨でしょう。それなのに、多くの事故では、その投与量での陣痛の評価が行われた形跡はなく、機械的に最大量まで増量されているように思われました。このようなやり方で、多くの症例はうまくいっていたのかもしれません。しかし、個々人の感受性を無視した機械的なやりかたでは、ある程度の確率で、こういった事故が起きてしまうということは避けられません。
産科補償制度発足から15年を経て、同種事案が繰り返されなくなっているとすれば、喜ばしいことだと思います。