高齢者
2025/05/25

血糖降下剤(SU剤)服用中の高齢者の意識障害が低血糖昏睡であることに気付かず、対応が遅れて遷延性意識障害となった事例(一審で訴訟上の和解)

 Aさんは、当時82歳の女性。夜間せん妄を主訴として相手方のB精神病院に入院しました。入院後、せん妄は落ち着いていたようですが、入院12日目の朝8時頃、ベッドから転落している状態で発見されました。
 この時点の意識状態は、カルテ上あまりよく分かりません。ただ、10時半頃に撮影された頭部CTの報告に、「意識障害の原因となるような所見なし」とのコメントがあるところをみると、少なくとも清明な状態ではなかったものと思われます。
 12時頃、「昼食のため覚醒を促すもまったく起きず」、14時頃、「呼名反応なし、痛覚反応なし、対光反射なし」というのがカルテの記載です。
 日付がかわった翌日午前1時50分に血糖値が測定され、この時点で34という低血糖状態であることが判明しました。その後、ブドウ糖液の静注が行われて血糖値は上昇しますが、Aさんは意識を回復しないまま、約40日後に亡くなりました。

 Aさんには糖尿病があり、3年ほど前からC病院で血糖降下剤オイグルコンを処方されていました。B病院入院中も、持参薬としてオイグルコンを服用していました。
 オイグルコンは、経口血糖降下剤の中で、もっとも低血糖のリスクが高いとされるSU剤(スルホニル尿素剤)のひとつです。しかも、Aさんは、糖尿病の合併症として腎不全が進行した状態であり、その意味でも、低血糖のリスクは極めて高かったといえます。
 血糖値が一定以下に低下すると、意識障害などの中枢神経症状が起こってきます。こういった症状は、速やかにブドウ糖が補給され、血糖値が正常に戻れば後遺症を残さずに回復します。しかし、対応が遅れ、低血糖による意識障害が一定時間以上継続すると、不可逆的な中枢神経障害となり後遺症を残します。このタイムスパンについてはいろいろな報告があり、短いものでは4時間というものもありますが、10時間前後とするものが多いようです。
 したがって、Aさんの意識障害をみた担当医としては、まず低血糖昏睡を疑って血糖値を測定すべきでした。頭部打撲による頭蓋内病変を疑って頭部CTを優先させたとしても、それによって頭蓋内病変がないことが確認された時点では、血糖値を測定すべきでした。ところが、担当医は、低血糖の可能性に思い至らなかったのか、CT撮影からカウントしても14時間以上にわたって血糖値を測定せず、低血糖昏睡を遷延させてしまったのです。

 B病院は、過失、因果関係ともに争って訴訟になりました。因果関係については、転院先の救急病院で主治医となったD医師が、退院時要約に「頭部打撲を契機とするびまん性軸索損傷による遷延性意識障害と考える」と記載しているのが、B病院側の主張の根拠でした。
 幸い、このD医師は、わたしたちとの要請に応じて、「この退院時要約を記載した際には、意識障害と低血糖の時間的な関係をよく分かっていなかった。時系列を正確に追えば、低血糖が一定時間続いたことが遷延性意識障害の原因と考えても矛盾はない」との陳述書を作成してくれました。

 また、低血糖昏睡の発症機序やSU剤の危険性、SU剤服用中の患者が意識障害を起こした場合の対処法などについての、糖尿病専門医による詳細な意見書を提出することができ、責任を前提とする和解が成立しました。

 糖尿病専門医の意見書は、被告病院の主張をすべて論破した上、このような文章で締めくくられています。

 意識障害の患者をみたら低血糖を疑えというのは医師としてイロハのイとでもいうべき常識です。ましてや糖尿病で血糖降下剤を服用していることが分かっている患者が意識障害をきたしているのに、血糖値を測定しないというのは許されることではありません。……率直にいえば、2006年というさほど昔でもない時期に、このような事故が起きていたという事実に大変驚くとともに、医療に携わる者として残念でなりません。繰り返しになりますが、本件は通常の医療標準に沿った対処さえあれば、不可逆的意識障害は避けることが容易であった症例です。関わった医療従事者は深く反省するべきでしょう。

 患者本人はもとより、ご家族のお気持ちを考えると、いたたまれない気持ちであることを申し述べ、意見書の終わりとさせていただきます。

 ところで、訴訟では問題になりませんでしたが、この事案では、Aさんにオイグルコンを処方し続けていたC病院の治療も疑問でした。オイグルコンの添付文書では、「重篤な肝機能又は腎機能障害のある患者」には禁忌とされています。理由は「低血糖を起こすおそれがある」ためです。B病院入院前のAさんのクレアチニン値は3.73という高値でした。糖尿病の治療にあたっていたC病院の医師は、このような事故が発生する前に、より低血糖のリスクの少ない経口血糖降下剤へ変更しておくべきだったのではないでしょうか。 

© 九州合同法律事務所