Aさんは、67歳時に胸部大動脈解離を発症し、市立病院に約1ヶ月半入院、退院後はほぼ年1回の割合でCTによる経過観察を受けてきました。発症から4年後、市立病院で撮影されたCTで、動脈径拡張傾向が認められたため、大学病院を紹介されました。
大学病院では、遠位弓部及び胸椎7〜9番レベルに大動脈瘤があるとして、人工血管置換術を薦められました(以下、前者を「瘤A」、後者を「瘤B」と表記します)。動脈径は、瘤Aがエコーで56㎜、瘤BがCTで57×55㎜と評価されています。また、術前のMDCTで、脊髄の血流供給のために重要なアダムキービッツ動脈が第8肋間動脈から分岐しているが、第8肋間動脈は起始部で狭窄または閉塞しており第7及び第9肋間動脈からの側副血行で栄養されている可能性が示唆されています。
以上のような術前の画像に基づき、患者及び家族には概ね次のような説明がなされました。
最小でも遠位弓部以降、最大であれば動脈基部から瘤Bの収束部まで人工血管に置換する。アプローチは胸骨正中切開+左側開胸、対麻痺予防策としてアダムキービッツ動脈に血液を供給している第7〜9肋間動脈を温存または再建する。
5月15日、人工血管置換術施行。術後、Aさんの下肢は動かず、MRIで第5〜7胸髄の虚血が確認されました。家族が当事務所に相談に来られた時点では、Aさんはベッド上寝たきりの状態でした。
開示されたカルテを検討してみると、実際に行われた手術は、家族が説明を受けたものとはかなり異なっていました。
実際に行われた術式は、正中切開で遠位弓部から人工血管を下行大動脈に挿入し、心臓を頭側に脱転して背側心膜を切開、そこからアプローチした下行大動脈の前部を切開して、遠位弓部から挿入した人工血管を引っ張って大動脈内に通すという方法(プルスルー法)でした。この方法は、正中切開のみで瘤Bの収束部まで人工血管に置換できるというメリットがありますが、術前に説明されていた肋間動脈の再建はできません。
術式変更の理由及び対麻痺の原因に関して病院に説明を求めたところ、次のような回答が戻ってきました。
① 人工血管置換範囲が広く侵襲の大きな手術になるので、侵襲をできるだけ少なくするためのプルスルー法を術前から念頭においていた。
② 術中、弓部の操作で予期しない出血が起こったため、左側開胸を追加することは侵襲が大きすぎると判断、プルスルー法を採用することにした。
③ 第8肋間動脈起始部より中枢側で瘤Bの末梢を処理しており、大動脈から遮断されたのは第3〜7肋間動脈なので、それによるアダムキービッツ動脈の血流への影響は少ない。
④ 実際に発生した対麻痺は、術中の肋間動脈の虚血あるいは大動脈切開に伴って飛散したプラークが肋間動脈に流入したことによるものと考えられ、肋間動脈が大動脈から遮断されたことによるものではない。
専門性が高く、困難な事案だと思われましたが、胸部大動脈瘤の手術について日本有数の症例数を誇る専門医の協力を得ることができ、提訴に踏み切りました。
執刀医、第一助手、原告本人(提訴から約1年後にAさんは死亡し遺族が承継)の尋問終了後、裁判所は3000万円の和解案を提示しました。
被告側はこれを拒絶して鑑定申請、原告側は鑑定に反対して、双方協力医の証人尋問を主張し、原告側協力医の尋問が採用されました。しかし、原告側協力医の尋問後も鑑定採用をめぐる双方のせめぎ合いは続き、鑑定採用後も鑑定事項を巡って、鑑定書が提出された後は、補充鑑定、再補充鑑定をめぐって激しい争いが続きました。
地裁判決は、瘤A、瘤Bともに、手術適応を認めたことは医師の裁量の範囲内であるとして、この点の過失を否定しました。しかし、瘤Bについて、患者の意思確認をすることなくプルスルー法を採用した点(肋間動脈を再建せずに人工血管に置換した点)について、医師の裁量を超えるものとして、過失と認め、後遺症慰謝料及び死亡までの逸失利益を損害として認容しました(過失と死亡との因果関係は否定)。
その理由として判決がまず指摘するのは、瘤Bの瘤径からして、手術適応が異論なく認められる事例ではなかったことです。
一方、瘤Bにプルスルー法を用いることによる対麻痺発生の危険については、術前検査の結果からして、第7肋間動脈が大動脈から遮断されることは確実であり、第8肋間動脈が大動脈が遮断されるおそれもあったことから、対麻痺発生の危険が大きかったと認定しました。これを否定する被告側の見解については、「(執刀医の)胸椎レベルの認識は1椎体分ずれていた」と認定し、医療水準に照らして不適切であったとしました。
そして、「以上のようなプルスルー法特有の対麻痺発生に係る危険性、対麻痺の重篤性を考慮すると、本件において肋間動脈を再建するという一般的な術式を採る考え方とプルスルー法という術式を採る考え方との間には、対麻痺の発生原因や治療戦略等について根本的な考え方の違いが存在する」とし、瘤Bに対する手術の必要性、肋間動脈を再建しないという点ではプルスルー法と類似するステントグラフト治療について患者の希望を考慮すべきとされていることに照らし、本件でプルスルー法を採用するには患者の同意の有無を確認することが必要であった、というのが裁判所の判断です。
また、プルスルー法と対麻痺との因果関係については、本件手術で第7肋間動脈の血流が途絶したことは確実であり、第8肋間動脈への血流が影響を受けたことも十分に考えられるとし、これに加えて現に対麻痺が発生していることからすると大動脈からアダムキービッツ動脈を介した脊髄への血流が途絶した蓋然性が高く、他の原因について具体的な主張立証ががない以上、プルスルー法採用が対麻痺の原因と解するのが相当と判断しています。
この判決(鹿児島地裁平成15年6月18日)は一審で確定し、判例時報2207号p65に、「患者の同意を得ることなくプルスルー法を採用したのは医師の裁量の範囲を超えて許されないとして、対麻痺が生じたことに対する損害賠償請求が認められた事例」として掲載されています。
説明義務違反を理由として医療機関の責任を認めた裁判例はたくさんありますが、そのほとんどは自己決定権侵害の慰謝料を認めたものであり、逸失利益まで認めた例はごく僅かです。本件は、プルスルー法という術式について、術前のインフォームド・コンセントがないことを理由に、その術式の適応を否定し、損害として、自己決定権侵害の慰謝料ではなく、通常の後遺症慰謝料及び後遺症による逸失利益を認めました。
私の知る限り、心臓血管外科領域で説明義務違反による逸失利益が認められた初めてのケースであり、非標準的な治療におけるインフォームド・コンセントのありかた、説明義務違反による損害の範囲について参考になる事例かもしれません。
事務所ブログ「鹿児島大学病院プルスルー法事件の顛末」というエントリーでも詳細に報告していますので、興味がある方は是非、読んでみてください。