消化器系
2025/07/04

胃癌手術既往の患者の輸入脚症候群の診断・治療が遅れ、汎発性腹膜炎から死亡に至った事例(訴訟前の示談)

 Aさんは82歳の男性、4年前に胃癌手術の既往がありました。

 腹痛・嘔気を主訴として地元のB病院を受診し、イレウスとの診断で入院となりました。挿入されたイレウスチューブからは排液が見られないため、入院3日目に抜去されています。

 入院時にはアミラーゼが4269U/ℓという高値で膵炎も疑われましたが、その数値は徐々に落ち着いていきました。一方、全身の浮腫、黄染が日に日に著明となり、倦怠感の訴えも強くなっていきます。しかし、B病院で行われた腹部CTやMRCPでは原因を特定できず、ダブルバルーンカテーテルでのERCPを受けるため、大学病院への転院が予定されました。

 その転院予定日の前日、Aさんは収縮期血圧が60㎜Hg台となり、意識レベルも低下してショック状態となりました。緊急CTで多量の腹水と上部小腸の拡張が見られたため、絞扼性腸閉塞との診断で緊急手術となり、術中所見で、腸管の絞扼と、胃癌手術による吻合部の断裂などが確認されました。

 術後の容態は一進一退を繰り返しましたが、結局、術後17日目に、Aさんは亡くなりました。死亡診断書の直接死因は、「急性心不全・急性肝不全・急性腎不全」、その原因は、「汎発性腹膜炎・絞扼性イレウスによる輸入脚症候群」とされています。

 「輸入脚症候群」とは、「胃切除後や胃全摘術、胆管切除後などのビルロートⅡ法あるいはRoux−enY吻合法による再建術後、輸入脚に何らかの原因による機械的通過障害が起こることによって生ずる病態」とされています。

 Aさんが4年前に受けた胃癌手術は、Roux−enY(「ルーワイ」と読みます)吻合法によって再建がなされていました。

 胃全摘術におけるRoux−enY吻合法を示します。左下の図が完成型で、垂直に伸びている消化管から枝分かれしているのが「輸入脚」と呼ばれる部分です。実態は十二指腸ですが、本来の口側は閉じられて盲管となっており、反対側が空腸に吻合されています。胃全摘前は、食べ物は、食道→胃→十二指腸→空腸と流れていたところ、胃全摘後は食道→空腸という流れになります。十二指腸には、総胆管から胆汁が、主膵管から膵液が流入するファーター乳頭があるために残されているだけで、食物は通りません。

 文献の中には、「狭義の輸入脚症候群」と「広義の輸入脚症候群」を分けて説明するものもみられます。そこでいう「狭義の輸入脚症候群」は、胃部分切除のビルロートⅡ法再建後において、輸入脚に胆汁や膵液が充満し、食後に内圧の上昇とともに残胃内に急激に流入して大量の胆汁性嘔吐を引き起こし、嘔吐すれば軽快するというものであり、いわば慢性疾患です。これに対して、「広義の輸入脚症候群」は、輸入脚閉塞症や輸入脚逆流症も含むと説明されており、この輸入脚閉塞症というのが、輸入脚の完全閉塞により急激な腹痛、無胆汁性嘔吐を起こす急性疾患です。また、前者を「慢性輸入脚症候群」、後者を「急性輸入脚症候群」と説明する文献もあります。

 Aさんに起こったのは、輸入脚症候群の中でも緊急性の高い輸入脚閉塞症でした。入院当初はおそらく完全閉塞ではなかったものと思われますが、おそらくは輸入脚の浮腫が次第に増強したことで完全閉塞に至り、吻合部の断裂から汎発性腹膜炎を引き起こしたものと思われます。

 Aさんの主治医であった消化器内科のC医師は、この輸入脚症候群という疾患についての知識が全く欠けており、その病態の解釈に頭を悩ませていたようです。外科のD医師も、「医師国家試験の時に勉強した覚えはあるけれど、それ以来、はじめてこの病名を聞きました」とわたしたちに説明しました。

 確かに、教科書的な文献で、この輸入脚症候群に触れているものはあまりなさそうです。収集した文献の中にも、「比較的稀な合併症」と表現しているものがありました。しかし、その発生頻度は、ビルロートⅡ法再建後で1.0%、Roux−enY再建後で0.68%とされています。医学文献の検索サイトで、「輸入脚症候群」をキーワードにして検索すると、膨大な量の文献がヒットします。

 Roux−enY法が、胃全摘術では最もポピュラーな術式であることからすると、やはり医師としては知っておかねばならない病態だといえるのではないでしょうか。

 本件では、入院当日の腹部CTで、既に輸入脚の拡張は明らかであり、しかも、翌日のガストログラフィンで、輸入脚以外の部分に通過障害がないことも分かっていました。高アミラーゼ血症、そしてその後の全身浮腫、黄染、さらにAさんの胃癌手術既往などを考えた場合、「輸入脚症候群」という疾患についての知識さえあれば、診断することはさほど難しくなかったものと思われますし、容態が急変する前に絞扼部の解除、輸入脚の減圧といった治療が可能であったはずです。

 本件では、B病院が、輸入脚症候群の早期診断ができなかった過失を認め、訴訟前の示談が成立しました。

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