脳神経系
2025/08/12

非弁膜性心房細動等を有する患者に対し、脳梗塞予防目的で処方されていたリクシアナ等の薬剤の処方を怠り心原性脳梗塞による重篤な後遺症を残した事例(訴訟前の示談)

 Aさん(89歳・女性)は、非弁膜症性心房細動、頻脈性不整脈のため、3年前から、経口抗凝固薬リクシアナ錠、心拍数調節及び血圧コントロールのためβブロッカーのビソプロロールフマル酸塩錠、カルシウム拮抗剤のアゼルニジピン錠、アンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬のオルメタル酸OD錠の処方を受け、服用を続けていました。
 2月にB病院で変形性膝関節症の手術を受け、3月25日にリハビリテーション目的でC病院に転院しました。AさんはB病院でも上記4剤の処方を受け、C病院転院時にも持参薬として確認されています。C病院においても、この4剤が継続処方されることは当然の前提となっていました。

 ところが、4月19日まででその4剤が切れたにもかかわらず、C病院はそれに気づかず、処方を行いませんでした。

 それから46日目の6月4日、AさんはC病院でのリハビリ時に意識レベルが低下し、B病院に救急搬送されました。B病院で心原性脳梗塞と診断され、tPAによる血栓溶解療法及び血栓回収療法が実施されましたが、JCS200程度の意識障害及び重度左片麻痺は回復せず、全介助状態のまま翌年3月に死亡しました。直接死因は肺炎です。

 C病院は遺族らに対し、リクシアナの処方を怠った過失を認めつつ、その過失が心原性脳梗塞発症という結果の発生に寄与した割合は5割程度であるとして、1500万円を支払うという内容の示談を提案していました。

 このような事案の場合、損害額の評価において、過失と結果との因果関係をどう考えるかは常に問題になります。

 法的因果関係にの判断については、昭和50年10月24日最判(ルンバール事件)の、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである」という判示が今日でも先例的価値を持っています。

 とはいえ、何を以て高度の蓋然性が証明されたと評価するかがこの判例に示されているわけではありません。一般的には80%以上の確率で真であることが必要と言われますが、この数字に特段の根拠があるわけでもありませんし、そもそも何の確率が80%以上であることが求められるのかも、あまりはっきりしていません。また、医療の世界で、80%以上の確率で真であると証明されていることがどれほどあるのか、という根本的な問題があります。

 例えば本件のような場合、リクシアナが処方されていた場合と処方されていない場合を比較して、リクシアナの投与によって80%以上の脳梗塞が回避できたとすれば、それを以て高度の蓋然性を認めるというのは一つの考え方ではあります。

 しかし、では80%未満であれば、高度の蓋然性までは認められないとして因果関係が否定されるべきでしょうか。

 このような場合には、「相当程度の可能性」が認められることを以て、一定の損害賠償を認めるべきという平成12年9月22日最判があるのですが、その場合の損害額は極めて低額になります。

 そういう意味では、寄与度を5割程度として折衷的な金額を示したC病院の提案は、良心的なものであったと評価することも可能です。

 では、本件において、過失の脳梗塞発症に対する寄与度が5割程度というC病院側の評価は、妥当なものと言えるのでしょうか。

 リクシアナについてのものではありませんが、欧米で行われた6つのランダム化比較試験のメタ解析によれば、非弁膜症性心房細動に対するワルファリン投与は、脳梗塞の発症を68%減少させたとされています。そして、このリクシアナを含むDOAC(直接作用型経口抗凝固薬)の大規模臨床試験では、リクシアナにはワルファリンと同様の脳梗塞予防効果が確認されました。

 とすれば、少なくとも68%の寄与度はあると言えるのではないか。高度の蓋然性が認められる80%まで、もう一息です。

 

 本件では、リクシアナだけではなく、ビソプロロールフマル酸塩錠、アゼルニジピン錠、オルメタル酸OD錠の処方も途絶えていました。

 高血圧は、最も広く受けいられられている心房細動の危険因子です。また、高血圧は心房細動の発症や持続を助長するだけではなく、血栓塞栓症のリスクを高めます。また、心房細動の包括的管理においては、適切な心拍数調節を行い左室機能の保持を図ることが重要とされています。

 これらの3剤は、まさに血圧と、心拍数のコントロールのために処方されていた薬剤でした。

 実際、これらの薬が切れてから、Aさんの収縮期血圧及び心拍数は高い状態が続いていました。リクシアナによる抗凝固効果が失われただけではなく、それに加えて、これら3剤による血圧及び心拍数のコントロールが行われなくなったことが、Aさんの心原性脳梗塞を発症させたのだと言えるのではないでしょうか。つまりリクシアナを投与しなかったことの寄与度が68%だとして、それにこの3剤を投与しなかったことの寄与度を加えれば、80%を超えるといえるのではないか。

 そういった資料を示してC病院側と交渉し、最終的には、当初の提示額から8割以上増額した解決を得ることができました。

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