趣味
2026/02/10

清少納言⑦〜ミア・カンキマキが教えてくれた

 実は、わたしが枕草子を通読したのは、ほんの数年前のことです。

 中高生時代、わたしは古文が大の苦手で、清少納言も紫式部も、全部まとめて敬遠していたのですが、30代半ばに、画家で絵本作家でもある安野光雅さんの「青春の文語体」という本を読んだことから、文語体の魅力に目覚め、そこから遡って、日本の古典にハマりました。その頃、伊勢物語、土佐日記、蜻蛉日記、源氏物語、更級日記……といった教科書で紹介されていたような古典をひとわたり読みました。

 でも、枕草子だけは読めませんでした。

 前回に紹介したような魅力的な章段は多々あって、それを拾い読みしている分には愉しいのですが、意味不明な章段が多すぎるのです。原文はもちろんのこと、現代語訳を読んでも理解不能な言葉の羅列。

 

 山は、小倉山。鹿背山。三笠山。このくれ山。いりたちの山。忘れずの山。末の松山。かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ。いつはた山。かへる山。後瀬の山。朝倉山、よそに見るぞをかしき……

(第一〇段 山は)

 

 いったい、何の話でしょう。

 しかし、こういった類聚章段は、まだいいのです。たいていはごく短いし、意味が分からないのはどうやら自分だけではないと思って読み飛ばせばいい。

 

 本当に難しいのは、日記的章段と呼ばれている部分です。

 このように分類されている章段は、比較的長いものが多いのですが、例えば源氏物語のように、読んでいるうちにだんだん筋が理解できてきて読みやすくなるといったものでもありません。

 もともと架空の物語であれば、筆者には、その状況設定を読者に説明することが求められます。もちろん紫式部にしても現代の読者に理解できるほどの説明はしてくれないのですが、それでも他者に向けて語るつくり物語である以上、読んでいればなにがしかのヒントは拾える。

 でも、枕草子はそうではありません。清少納言は、自分の生きているその現実の世界で起きたこと、その現実の世界で感じたことを、その同じ世界で生きている相手に向けて、つまり、その世界の成り立ちについてなんの説明もなしに理解している読者に向けて、この枕草子を書いています。
 そう考えると、 枕草子が難しいのは、当然のことですよね。

 

 それがいくらかなりと理解できたのは、ミア・カンキマキ『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』を読んでからのことでした。

 セイ、機内からだけど、これからよろしく。今、私はシベリアあたりの上空にいて平安京へ向かう途中。そう、平安京へ、京都へ、千年前のあなたの町へ。

 フィンランド人女性ミアのものしたこの傑作エッセイの魅力は、きわめて多岐にわたり、簡単に語り尽くせるものではありません。彼女の目に映る日本文化はワクワクするほどに新鮮で、それぞれの関心で京都のガイジンハウスに滞在している外国人たちはみな魅力的です。

 

 わたしは、彼女から、自分が、枕草子についても清少納言についても、何も知らなかったことを教えられました。むしろ、なまじっか日本の文化のことを知っているつもりであることが、枕草子や清少納言に対する理解を妨げていることを教えられました。実は、肝腎の、日本文化についての理解も甚だ曖昧で、外国人に向けて説明できるようなレベルではないことも。

 

 もちろん、ミアのまわりの外国人も清少納言のことなんか知りません。でも、Pillow Book といえば反応してくれる人もいます。

 すごい、君は勇気があるよ! だってさPillow Book について話す人なんていないことは気づいてるよね。それはこの社会のタブーで、触れられない秘密だからね……実はオレ、有名な「蛸と海女」を研究している人を知ってるんだ。もちろん君は知ってるだろ。タコが女に○○○○○○○をしている絵だよ……

 抱腹絶倒(^_^)

 

 ちょっと、信じられないくらい面白い本なんですが、なんといってもその中心テーマである清少納言への強い想いが、この文章を牽引します。

 セイ、あなたの時代にどうしてこんなことが可能だったの? 平安時代の文学の中でも大部分を女性たちが著しているのはなぜ? あなたたちが歴史的でほかにないものを作っていたという自覚があなたにはあった?

 

 日本の王朝文学は、世界に類をみない、女流作家中心の文化です。

 自分の娘を天皇に嫁がせ、次代の天皇を生ませ、その血縁を根拠として天皇を後見する立場を確保するというのがこの時代における権力構造であり、いわば生殖こそが権力の源泉でした。このような権力構造において、女性が極めて重要な存在であることは言うまでもありません。むしろ、女性抜きの権力というものは、存在し得ません。そして、その要である中宮、女御といったキサキのまわりに、その権力を支える才能豊かな女性たちが集いました。

 9世紀末の遣唐使廃止から約100年、ひらがなを用いた国風文化がその爛熟の頂点に達しつつあった一条朝の初期において、権力構造の中心であり、かつ、文化の中心だったのが、清少納言の仕えた中宮定子でした。

 枕草子の日記的章段の理解のためには、この中宮定子という女性と、定子が登場してきた時代背景、そして定子の生涯を知ることが必要になります。

 そして、それは枕草子という世界で最も古いエッセイの、魅力の中核部分に触れることでもあります。

 

 

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