Aさんは20代半ばで潰瘍性大腸炎を発症し、30代初めから、B病院での手術を繰り返してきました。はじめは結腸摘出、回腸人工肛門造設術、次に残存結腸切除、J型回腸嚢・肛門吻合術。この回腸嚢の狭窄による排便障害が増悪し、回腸嚢−肛門切断、単孔式回腸人工肛門造設術が施行されたのは、49歳の時です。
この際の手術前の説明は、以下のようなものでした。
人工肛門造設のみの方が負担は軽いが、その場合、残った回腸嚢から粘液の排出が続き、可能性は低いが癌を合併するリスクもある。回腸嚢−肛門切断術も併せて行えば、出血量も多くなり、骨盤内の操作によって術後の排尿障害や性機能障害のリスクもあるが、術後は肛門部の症状はなくなり、当然、癌のリスクも消える。
このような説明を受けて、Aさんは、回腸嚢—肛門切断術も併せて行うことを選びました。
しかし、この手術の後、Aさんは断続的な会陰創部の疼痛、滲出液の排出等に苦しみ、3年間に5回の入院治療を余儀なくされました。
6回目の入院の際に、会陰部胼胝状肉芽腫切除、会陰部膿瘍ドレナージが実施されました。
そして、この手術で採取された標本の病理組織検査の結果、癌が発見されました。手術後のカルテには、「仙骨前面の残存した膿瘍が、難治性瘻孔の原因と思われた/難治性であったことは癌のためと考える」との記載が残っています。つまり、術前の予測に反して、Aさんが3年間にわたって会陰部の症状に苦しんだのは、そこに癌があったためだ、という意味だと思われます。
約1ヶ月後に、この癌を切除するための手術が行われました。腹会陰式肛門切断術、尾骨合併切除、精嚢切除、回腸部分切除。
では、この癌はいつからそこにあったのか。
実は、3年半前の回腸嚢−肛門切断術の際には、その癌はすでに存在していました。
それがわかったのは、会陰部胼胝状肉芽腫切除によって採取した標本と同時に、3年半前の回腸嚢−肛門切断術で採取した標本の病理検査も併せて実施されたからです。3年半前の標本からも、小腸壁から肛門壁に浸潤する癌が発見され、切除断端陽性との報告がなされました。
この標本が病理検査に出されたのは、もちろん採取された直後のことです。検査依頼書には、「炎症による瘢痕だと思われますが、非常に固い部分があります。悪性の有無お願いします」とありました。
つまり、3年半の間、この病院の病理部は、依頼された検査を実施していなかったのです。
わたしに事情を説明した主治医は、「うちの病理は忙しくて、結果が出るのが遅い。もっと早くできないのかといつも言っているのだが」と苦り切った表情でした。
しかし、そういう話でしょうか。
回腸嚢−肛門切断術の際に標本を採取し、病理検査に出したのは、術後の治療に誤りなきを期すためだったはずです。術前の予測に反し、会陰部の症状は改善せず、患者は入退院を繰り返している。それも、3年半にわたって。病理はどうなっているのか、という疑問が、臨床の側から呈されないのでしょうか。それとも、それはそれでやむを得ない、というのが現場の感覚なのでしょうか。
こんなことがごく普通に起こっているのであれば、この病院の病理検査室はまったくの機能不全というほかありません。むしろ、なにかの手違いが重なってたまたまこうなったとと思いたいところですが、それはそれで、主治医の方から病理検査室にひと声かければ解決できた問題だったのではないか、との思いも残ります。
しかも、主治医は、「癌が骨盤壁の膿瘍の原因になっているわけではない」、「難治性であったことと癌取り残しとの可能性は不明」と主張しました。カルテに書いてあることとは全く違いますが、「あのときはそう思ったから書いたけれど、思っただけであって医学的に証明できるわけではない」と言われれば、そのとおりです。
医療事故の被害者は、医師のこのような言説にいつも悩まされます。
この医療事故調査中に、Aさんの癌は再発し、抗がん剤治療を受けるようになりました。
病院からの提示額は、こちらの請求額よりかなり低いものでしたが、心おきなく治療に専念できるよう、早期解決を優先して示談に応じました。
示談後まもなく、Aさんは亡くなりました。
この事案の過失は、CASE45:食道癌との病理検査結果が主治医に伝わらず、4年間にわたって無治療のまま放置された事例における過失とよく似ています。しかし、小腸癌は、ほかの部位の癌と比べると症例が少なく、予後予測のためのデータも十分にはありません。それも、比較的低額での示談に応じざるを得なかった一つの要因です。
しかし、病理検査が遅滞なく行われ、癌を早期に取り切ることができれば、Aさんの予後は違っていたと考えるのが普通ではないでしょうか。
医学的に証明できるかどうかは別として。