高齢者
2025/04/23

半身麻痺で自力で寝返りを打てない高齢者が、オムツ交換中にベッドから転落し、骨盤骨折から出血性ショックで死亡した事案(一審で訴訟上の和解)

 Aさんが、認知症、廃用症候群、運動器不安定症という診断でB病院精神科に入院したのは89歳の頃でした。Aさんは脳梗塞の後遺症で左半身に麻痺がありましたが、右手にスプーンを持って自分で食事をしていました。また、認知症もさほど深刻なものではなく、お見舞いに来る息子さんとの会話を愉しみに生活していたようです。

 97歳の時、C介護士のオムツ交換中に、Aさんはベッドから転落して骨盤等骨折の重症を負い、その日のうちに亡くなりました。

 高齢者は骨が脆くなっていることが多く、さほど強い外力を加えなくても骨折してしまうことがあります。体位変換やベッドから車椅子への移乗の際の骨折についての相談は珍しくありませんが、責任が問えるかどうかの判断は容易ではありません。

 本件は、そのような難しい事案ではありません。Aさんのオムツを脱がせたC介護士が、そのオムツを廃棄するために、1メートルほど離れた台車に移動する際、ベッド柵を元通り立てておけば防げる事故で、C介護士の過失は明らかです。

 それでも、遺族である息子さんは、お葬式に来られた病院の職員から、C介護士が今回のことでたいへんショックを受けていると聞いて、「どうかこの事件で仕事を辞めたりしないでほしい」と伝えたそうです。

 C介護士は、この事件により、業務上過失致死容疑で書類送検されました。それを報じた新聞記事は、「女性介護士は『不注意で申し訳ない』と容疑を認めている」と報じています。検察官から処分に関する意見を聞かれた息子さんは、8年にわたってお世話になった病院のことでもあり、また、C介護士も非を認めて反省していると聞いて、「厳重な処罰は望みません」と述べました。C介護士は不起訴処分になりました。

 

 息子さんが、事務所に相談に来られたのは、病院側の弁護士から、300万円の解決金額を示されたことがきっかけでした。8年間お世話になってきたことは感謝しているけれど、明らかな病院側のミスで亡くなったのに、300万円というのは人1人の命としてあまりに軽すぎるのではないか、というのが息子さんの疑問でした。

 高齢者の医療事故については、慰謝料を大幅に引き下げてもいいのではないかという人もいますが、わたしたちは、事故によって死亡に至った精神的損害の評価に、それほど大幅な差をつけるべきではないと考えています。その点については、事務所ブログ「高齢者死亡の医療事故の慰謝料は低額でよいなんてことがあるの?」をご参照いただければと思います。

 わたしたちが代理人になって改めて病院と交渉してみると、300万円を提示した弁護士は辞任し、新たな病院側代理人が登場してきました。そして、その代理人弁護士の主張は、C介護士の過失を全面否定するものでした。

 裁判での病院側の主張は、要旨、以下のようなものです。

 C介護士は、オムツを脱がせたAさんを、ベッド上、柵側から遠い壁際に寝かせた。

 その状態で、C介護士は、Aさんに背を向け、台車の方に移動した。

 ゴンッという音に振り向くと、Aさんがベッドから転落していた。

 つまり、Aさんは自力で壁際から反対側まで自力で転がってきてベッドから転落したものと考えられる。

 半身麻痺で自力で寝返りを打てないAさんがそのような動きをすることは予測不能なので、C介護士に過失はない。

 もしこのとおりであるとしたら、確かに予測不能です。予測不能というよりも、これが真実であると信ずることは、到底、不可能です。自力で寝返りを打てないはずのAさんが、C介護士が目を離したわずかな間に、自力でベッドの反対側に転がってきたなんて、荒唐無稽というほかありません。

 証人として出廷したC介護士は、病院側の代理人弁護士による主尋問にこそ、かぼそい声で、被告側の筋書きに沿ったことを答えていましたが、遺族側代理人弁護士からの反対尋問に対しては、ほとんど泣いているばかりで、まともな答えを返すことはできませんでした。

 その後、原告本人尋問に立った息子さんは、「どうしてCさんをこんな場所に引っ張り出す必要があるんですか」との憤りを漏らしました。

 このような証拠調べを経て、一般的な死亡慰謝料額の和解案が裁判所から示され、双方それに合意して和解が成立しています。

 

 医療現場ではさまざまなミスが起こります。そういったミスによる損害の公平な分担を図るのが民事責任の役割です。

 C介護士が、Aさんの死亡にショックを受けたのは間違いないでしょう。そのショックから免れるために、Cさんは、事故直前の状況に関しての記憶を変容させてしまったのかもしれません。しかし、それが客観的な状況と合致しているかどうかを評価し、法的責任を争うかどうかを決めるのは病院管理者の役割であり、そこでは、弁護士も適切な助言を行うべきだと思います。

 医療事故紛争の適切な解決は、医療従事者を守るためにも大事なことであるはずです。

 

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