内科系
2025/06/28 2025/07/04

甲状腺クリーゼでうっ血性心不全の状態にある患者に、βブロッカー(テノーミン)及びカルシウム拮抗剤(ワソラン)を投与したところ、心不全の急性増悪から死亡に至った事例(一審で訴訟上の和解)

 Aさんは46歳の女性、息苦しさを訴えて地域の中核医療機関であるB病院を受診しました。問診票には、「胸が苦しい」、「尿少しずつ」、「呼吸がしづらい」、「座っている方がいいです」、「水分、食事とれてない」、「下痢している」(1週間前くらい)」、といった訴えが記載されています。血圧204/107、心拍数193回の頻脈性心房細動胸部X線では右大量胸水と心胸郭比63%の心拡大が認められました。これをみた初診当番のC医師は、循環器科のD医師に報告し、D医師が指示した甲状腺ホルモンの検査の結果、著明な甲状腺機能亢進症が明らかになりました。

 D医師は、ここで頻脈性心房細動のコントロールが最優先であるとして、βブロッカーのテノーミンカルシウム拮抗薬のワソランの投与を指示しました。

 まず、テノーミン25㎎を2錠内服。この時点では、Aさんは「息苦しいです。座った方が楽です」と訴えつつ、笑顔を見せています。その15分後、ワソラン1Aが静脈投与された時にもまだ、「いまは午前中より楽です」と状態を説明していました。

 しかし、ワソラン投与直後から、Aさんの心拍数はみるみる減少し、それと同時に酸素飽和度も低下、吐き気を訴えるようになりました。リザーバーマスクでの酸素投与が開始され、心エコーで、駆出率10〜20%の著明な左室収縮障害になっていることが判明しました。その後、気管内挿管による人工呼吸管理、昇圧剤投与などの蘇生措置が行われますが、Aさんの心機能が回復することはなく、治療開始からわずか3時間で亡くなってしまいました。

 

 甲状腺中毒症の原因となる未治療ないしコントロール不良の甲状腺基礎疾患が存在し、これらに何らかの強いストレスが加わって、甲状腺ホルモン作用過剰に対する生体の代償機構の破綻により複数臓器が機能不全に陥った結果、生命の危機に直面して緊急治療を要する状態を、「甲状腺クリーゼ」といいます。Aさんは、まさにこの甲状腺クリーゼの状態でした。

 甲状腺クリーゼに対する治療は、抗甲状腺薬及び無機ヨードの大量投与が第一ですが、頻脈に対しては、βブロッカーによる心拍コンロトールが必要になります。ただし、それは、うっ血性心不全がない場合のことです。

 本件で使用されたβブロッカー薬テノーミンの添付文書には、「禁忌」として、「うっ血性心不全のある患者(心機能を抑制し、症状が悪化するおそれがある)」が明記されています。そして、来院時のAさんの、呼吸困難、起坐呼吸、頻脈、心拡大、大量胸水は、明らかにうっ血性心不全であることを示していました。

 それだけではありません。ワソランもまた、「重篤なうっ血性心不全の患者」には禁忌であり、テノーミンの添付文書には、「併用注意」として、「本剤からカルシウム拮抗剤の静脈投与に変更する場合には48時間以上あけること」とされています。その理由は、「相互に作用(心収縮力や刺激伝導系の抑制作用、降圧作用等)を増強させる」からです。

 最高裁平成8年1月23日判決は、「医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するに当たって右文章に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである」と判示しています。本件は、添付文書の注意事項に反する使用をして、添付文書で警告されているとおりのことが起こったという症例であり、まさしくこの平成8年1月23日最判の法理が適用されるべき事案だったといえます。

 しかし、B病院側は、「今日では心不全にもβブロッカーの使用が推奨されており、添付文書の記載は古い知見がそのまま残っているだけ」、「心臓が止まったのはもともとのAさんの状態が悪かったからであり、どんな治療をしても死亡は避けられなかった」として徹底的に争いました。

 確かに、βブロッカーの中には心不全の長期予後を改善することが認められている種類の薬剤がありますが、それは本件で使用されたテノーミンではなく、また、開始する用量も、本件で使用された量の8分の1程度です。甲状腺クリーゼの予後が厳しいことは確かですが、2009年の疫学調査では、死亡率は約1割でした。

 循環動態に対する慎重なモニタリングと、ジゴキシンなどうっ血性心不全の場合にも使える薬剤での心拍コントロールを行いながら、より高次の医療機関に搬送することで、救命できる可能性は十分にあったのではないかと思われます。

 この事件では、裁判所から、病院側の過失及び死亡との因果関係を認めつつ、基礎疾患などを考慮して逸失利益を限定した形での和解勧告がなされ、双方、それを受け入れて和解が成立しました。

 

 平成8年1月23日最判が問題になった事案には、以下のものもありますので、併せてお読みください。

 

 

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