Aさんは、63歳の男性です。もともとお酒好きでしたが、しばらく前に糖尿病との診断を受け、それ以降、節酒に努めるようになっていたといいます。
そんなAさんが、大晦日から元旦にかけて、正月気分に浸って飲み過ぎてしまい、2日には嘔吐が激しく寝込んでしまうような状態になりました。3日にも嘔吐が治まらず、強い倦怠感が続くため、午後5時頃、近所のB医院を受診し、ビタミン剤の注射を受けています。
その後もAさんの嘔吐は続き、午後10時頃には、息苦しさと悪寒を訴えるような状態となったため、救急車を呼び、午後11時18分に町立C病院に搬送されました。
救急出動記録によると、血圧・脈拍・血中酸素飽和度は測定不能、呼吸は深く遅く、意識状態はJCS100(痛み刺激をすると払いのける動作をする)という状態でした。一方、C病院のカルテには、血圧117/62㎜Hg、脈拍95回/分、体温36℃、JCS10(普通の呼びかけで開眼する)というデータが残されています。
JCS(ジャパン・コーマ・スケール)は、意識状態を評価する指標です。頭部外傷や脳卒中による一次性脳障害の進行度、緊急性の評価を主目的としたものであり、二次性意識障害(肝性脳症やアルコール中毒など)や遷延性意識障害では正確に評価することは難しいとされています。救急隊の評価と、B病院の評価が異なっているのはそのためかもしれません。しかし、JCS10という評価が正しいとしても、最終的な飲酒からの時間の経過を考えれば、やはり尋常なことではありません。
担当になったD医師は、救急隊員から「急性アルコール中毒」との報告を受けるとともに、付き添ってきた奥さんからAさんの既往歴や年末年始の飲酒状況を聞き、「点滴すれば大丈夫、一日入院すればいい」と説明しました。
点滴されたのは乳酸リンゲル液のソルデム3Aです。
日付が変わって、外来から病棟に移った頃からAさんは不穏状態となり、大声を上げてベッドから起き上がろうとするような動きをみせるようになりました。看護師は、Aさんの両手をベッド柵に縛り付けて抑制し、付き添いの奥さんに、「他の患者の迷惑だから静かにさせてください」と求めました。奥さんは、「普通じゃないみたいですが、なにか原因があるんじゃないでしょうか」と看護師に尋ねましたが、看護師は、「呑む人はこんなものです」と笑ってとりあってくれませんでした。
午前1時50分に、点滴が3本目に入った頃には、Aさんはすっかり静かになっており、看護師は抑制を外しました。看護婦が去ったあと、灯りを消した病室で、奥さんは一人付き添いを続けました。午前2時10分、あまりにも静かになってしまったことに不安を覚えた奥さんが灯りをつけてみると、Aさんは目を見開き、胸を波打たせて喘いでいました。奥さんのナースコールで駆けつけてきたスタッフの救命措置にも反応せず、Aさんは午前2時35分に亡くなりました。
死亡診断書には、直接死因は急性循環不全、その原因は急性アルコール中毒と記載されていました。
エチルアルコールの中毒致死量は血中濃度にして0.5〜0.7%とされており、このような濃度になるまで自ら飲酒を続けることはまずあり得ません。つまり、急性アルコール中毒による死亡とされているもののほとんどはアルコールの薬理作用によるものではなく、体温低下、舌根沈下、吐物誤嚥、窒息、末梢血管拡張と脱水による循環障害、低血糖など飲酒に伴う二次的要因によるものと考えられています。
Aさんが飲酒していたのは1月1日未明までのことであり、死亡までに約3日という時間が経過していることからしても、アルコールの直接的な薬理作用によるものとは考えられません。
では、ほんとうの死亡原因は何なのか。
記録に残されているデータから推定することは極めて困難ですが、一つの可能性として考えられるのは、乳酸アシドーシスです。
乳酸アシドーシスは、急性アルコール中毒の致死的合併症として挙げられるものの一つであり、糖尿病患者の場合、そのリスクは高まります。症状は、胃腸症状(悪心、嘔吐、腹痛、下痢等)、倦怠感、筋肉痛などの初期症状から始まり、過呼吸、脱水、低血糖、低体温、昏睡などの症状へと進行していきます。最後の飲酒から時間を経て重篤化していったAさんの症状は、実は乳酸アシドーシスによるものではなかったか。仮にそうであるとするならば、点滴薬としてソルデム3Aを選択したことが問題になります。ソルデム3Aは乳酸リンゲルであり、高乳酸血症の患者には禁忌です。投与すれば、乳酸値を上昇させて症状を悪化させるからです。
裁判所は、死亡原因をアルコール多飲関連という以上に特定することなく、C病院の検査及び観察義務違反(主として動脈血ガス分析を行わなかった不作為)を問題として指摘し、請求金額の25%の和解案を提示、双方がこれを受け入れて解決しました。
本件で問題になった急性アルコール中毒と乳酸アシドーシスとの関係については、あまり明確に述べている文献を発見できていません。
急性アルコール中毒として救急搬送されるような患者には、きちんと動脈血ガス分析を行うべきであり、それによって乳酸アシドーシスがないことが確認できない限り、乳酸リンゲルの点滴を行うべきではないのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか。