取り扱い事件

薬害肝炎事件

薬害肝炎事件とは

フィブリノゲン製剤、第Ⅸ因子製剤(クリスマシン、PPSBニチヤクなど)という血液凝固因子製剤を投与され、多くの方がC型肝炎ウイルスに感染しました。これらの血液凝固因子製剤は、2000人から2万人以上もの人の血漿をプールして作られており、十分な不活化処理(ウイルスを無害化する処理)がなされていなかったため、肝炎ウイルスに感染する危険性が高いものでした。

 

フィブリノゲン製剤は、日本では1964年から出産時や手術時の止血剤として用いられていました。1987年に青森県で非加熱製剤による集団感染が起こり、自主回収されて同年4月に加熱製剤が承認されました。しかし、この加熱製剤によっても肝炎感染が多数生じたため、1988年6月に緊急安全性情報が出され、以後は使用例が激減しました。

 

第Ⅸ因子製剤は、もともとは血友病の方の止血剤として開発されたものですが、未熟児の出血予防や肝疾患など後天性の疾患にも使用されていました。

 

1960年代初めには、輸血を受けた人の相当数が肝炎に感染すること、しかも肝炎は肝硬変に移行することもある大変な病気であることは一般に知られていました。また、1978年頃までには、非A非B型肝炎(現在のC型肝炎)の重篤性は、一層明らかになっていました。

そして、アメリカにおいては、1977年、FDA(食品医薬品局)が、フィブリノゲン製剤の有効性に疑問があること、肝炎感染の危険性があることを理由に、その承認を取り消しました。第Ⅸ因子製剤についても、1985年に新生児や肝疾患に対する適応が除外されました。

しかし、日本においては、製薬会社は引き続きフィブリノゲン製剤、第Ⅸ因子製剤の製造販売を続け、国も、適応をこれらの血液凝固因子の先天性欠乏症に限定するなどの適切な対応をしませんでした。

 

薬害肝炎事件は、海外においてその危険性を理由に製造が禁止され、製薬会社や国がその情報を入手しながら、日本国内では何らの措置を講じることなく放置し、被害の拡大を招いたという事件でした。その点において、薬害HIV事件や薬害ヤコブ事件と共通の構造を有しています。

 

薬害肝炎訴訟から救済法成立へ

国と製薬会社の責任を問う薬害肝炎訴訟は、2002年10月の東京・大阪での提訴にはじまり、全国5地裁で審理されました。当事務所からは、安倍が九州訴訟に代理人として参加しました。

 

2006年6月の大阪地裁判決以降、相次いで原告の請求を一部認める判決が出され、その結果、2008年1月11日、国会でいわゆる薬害肝炎被害救済法が成立し、同月15日、原告団と政府の間で基本合意が締結されました。

 

薬害肝炎被害救済法では、薬害肝炎被害に対する政府の責任、そして、政府の医薬品被害の再発防止努力が明記されました。

救済法の成立により、フィブリノゲン製剤、第Ⅸ因子製剤の投与がカルテなどの医療記録等に基づき裁判手続を通じて証明された方は、給付金の支給が受けられるようになっています。

 

しかし、現在も、救済されていない被害者は多く残されています。また、再発防止体制づくり、治療体制づくりもまだまだ不十分です。薬害肝炎全国弁護団は、薬害肝炎全国原告団とともに、これら個別救済・再発防止・恒久対策(治療体制づくり)のための活動を現在も精力的におこなっています。

詳しくは薬害肝炎全国弁護団HP(http://www.hcv.jp/index.html)をご覧ください。