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2026/01/27 2026/02/04

清少納言⑤〜なぜ、少納言なのか

 父元輔を見たついでに、曾祖父深養父まで遡ってみましょう。

 

  夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ(古今集166)

 

 清原深養父は、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑といった古今集の撰者たちと並ぶ、醍醐朝の代表的歌人です。琴の名手と伝えられ、後撰集には、深養父の琴を聴きながら、藤原兼輔、紀貫之が詠んだ歌が選ばれています。

 

   夏の夜、深養父が琴ひくをききて     兼輔朝臣

 みじか夜の 更けゆくままに 高砂の 峯の松風 吹くかとぞ聞く(後撰集167)

   おなじ心を                   つらゆき

 あしびきの 山下水は 行きかよひ 琴の音にさへ ながるべらなり(同168)

 

 中納言藤原兼輔は、三条右大臣藤原定方と並ぶ、醍醐朝つまり古今集時代における歌壇の中心人物であり、その邸宅には、紀貫之や凡河内躬恒などの歌人が集ったと言われています。深養父もその一人でした。

 ちなみに、兼輔も定方も、紫式部の曾祖父にあたります。曾孫の紫式部と清少納言は、宮仕えの女房として同格でしたが、三代遡れば、その身分の差は歴然としていました。紫式部の怏々として愉しまない女房生活は、本当ならこんな人たちと同格じゃないんだけどという落魄意識にあったのではないかとも言われています。

 

 ところで、清少納言の「清」は清原の「清」であるとして、なぜ、「少納言」なのか。

 

 枕草子当時、既に、清少納言という呼称が成立していたことは、有名な「香炉峰の雪」の段に、看て取ることができます。

 

 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などしてあつまりさぶらふに、「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ」と仰せらるれば、御格子上げさせて御簾高く上げたれば、笑はせたまふ。

(枕草子第二八四段 雪のいと高う降りたるを)

 

 紫式部が、いつ頃から紫式部と呼ばれるようになったのかについてはやや難しい問題があるのですが、清少納言の場合、紫式部日記、和泉式部集、赤染衛門集といった同時代資料にも、「清少納言」という名前で登場しますので、同時代的にそう呼ばれていたと考えて間違いないでしょう。

 でも、なぜそのように呼ばれていたのかは、分かっていません。

 

 ごく普通に考えれば、親兄弟に少納言がいたことから名付けられた女房名だと考えるのがごく普通なのですが、残念ながら、そういう身内は見当たりません。最初の夫である橘則光も、二人目の夫である藤原棟世も、少納言だったことはありません。そのため、少納言に任じられたことのある別な男性と一時期婚姻関係にあったのではないかと推測する説もありますが、清少納言という呼称以外に、その根拠はないようです。

 

 少納言というのは太政官の職の一つで、その職務は時代によって変遷がありますが、基本的には、天皇に近侍する秘書官的な役職のようです。大納言、中納言は、大臣とともに朝議に参加する、いわば閣僚級ですが、少納言という立場は、その下で実務を担う、事務方のトップではないかと思われます。

 であるとするならば、これは有能な人でなければ務まらない。血筋がよいというだけで大臣、大納言、中納言の位に昇り、朝議ではただ居眠りをしているという無能な貴族は歴代たくさんいたはずですが、少納言の場合、各省庁や各国司と太政官を繋ぐ連絡窓口として応接の才も必要だったでしょうし、細かい行政実務にも通じていることが求められたはずです。

 清少納言は、定子サロンにおいて、そういった役割をこなしていたのではないでしょうか。もちろん、実際の少納言の職務とは別ですが、定子サロンには定子サロンなりの、対外的な折衝や、内部的な人事といった実務があった。

 父親譲りの機転を利かせて、その実務を捌き、定子サロンの名声を高めた元輔の娘に、定子は、敬意と労いの意を表して、「わたしの少納言」という呼称を与えたのではないか、と思います。

 

 実際、枕草子には、機転を利かせてまわりから賞賛されたという自慢話めいた章段がたくさんあるのですが、それが清少納言の独善でなかったことは、栄花物語にも伝えられています。

 

 内裏わたりには五節、臨時の祭りなどうちつづき、今めかしければ、それにつけても昔忘れぬさべき君達など参りつつ、女房たちとも物語しつつ、五節の所どころの有様など語るにつけても、清少納言など出であひて、少々の若き人などにも勝りてをかしう誇りかなるけはひを、なほ捨てがたくおぼえて、二三人つづつれてぞつねに参る。

(巻第七「とりべ野」)

 

 今年の五節の舞はどうであったか、その評価を語り合うのに、清少納言の見解に注目が集まる、そういう状況だったのでしょうね。

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