外科系
2025/05/06

食道癌術後の血圧低下に対し、適切な輸液や昇圧剤投与が行われず循環不全によって死亡した事案(一審で訴訟上の和解)

 患者さん(65歳男性)は、ステージ1bの食道癌と診断され、右開胸開腹食道亜全摘、リンパ節郭清、後縦隔胃管再建術を受けたました。手術室からICUに戻った直後から頻脈、血圧低下となり、ICU入室後約5時間後に心停止に至りました。蘇生措置によりいったんは心拍が再開しますが、意識を回復することなく約1ヶ月後に亡くなりました。

 食道癌の手術は、最も侵襲度の高い手術の一つであり、それだけに術後の循環に対する影響は大きく、きめ細やかな血行動態の管理が重要です。
 臓器や組織への血流を維持するためには、平均血圧65㎜Hg以上(平均血圧=拡張期血圧+(収縮期血圧ー拡張期血圧)÷3)が必要であり、これを下回ると、組織が低酸素に陥ることになります。したがって、術後の血圧低下に対しては、輸液の量を調節したり、昇圧剤を使ったりして、平均65㎜Hg以上を維持することが必要とされています。
 本件では、ICU入室1時間後には平均65㎜Hg未満となり、鎮静剤の投与中止、新鮮凍結血漿投与といった措置にもかかわらず、血圧の低下傾向は進みました。その2時間後には、血ガス分析では、pH7.195、血清乳酸値11.1molという極めて重篤な乳酸アシドーシス(組織の低酸素状態を示します)が明らかでしたが、それは医師に報告されていません。


 遺族たちは、提訴時に依頼していた弁護士との信頼関係をうまく築くことができず、その委任関係を解消して、次の弁護士を探す中、当事務所を紹介されたとのことでした。

 訴状では、病院のほか、医師2名、看護師1名を被告としており、それぞれに対して多数の過失が主張されていました。それは依頼者である遺族の強い希望によるものでした。わたしたちは、過失を血圧管理の懈怠一本に絞り、医療従事者個人の責任は問題にしないことを条件に、この事件を受任しました。
 このように争点を絞り込んでしまえば、平均血圧が65㎜Hg未満となり、さらに低下を続けているにもかかわらず、心停止に至るまで、大量輸液も昇圧剤投与も行っていない病院の責任は明らかで、担当医の尋問のみで、比較的短期間に、責任を前提とする和解勧告を得ることができました。

 

 医療事故の被害者は、医療側がいかに悪質であるかを強調しようとしてたくさんの過失を主張しようとします。しかし、それがいかにひどい過失であっても、最終的な結果との因果関係がなければ、法的には意味がありません。過失が多くなればなるほど、結果との因果関係の整理は難しくなります。主張、立証に時間がかかりますし、主張に齟齬をきたして、勝てる事件も勝てなくなる可能性があります。
 また、被害感情がつよいほど、医療従事者個人の責任を問題にしようとします。しかし、チーム医療の中で、その医療従事者個人の過失を特定するのは容易ではなく、これもまた、勝てる事件が負けてしまうリスクを含んでいます。


 しかし、遺族は、勝って賠償金をもらうためだけに裁判をするわけではありません。責任を明らかにしたい。それを、再発防止に繋げたい。そのことによって、大切な家族の死を、社会的に意味のあるものにしたい。そういう気持ちは、十分に理解できます。
 わたしが、この事件を受任するにあたって遺族に提案したのは、とにかく病院の法的責任を認めさせることを優先しましょう、そして、その責任を前提として、医療法第6条の10第1項の医療事故として、医療事故調査・支援センターへの報告を求めましょう、ということでした。そのことによって、本件医療事故の教訓が社会に共有され、再発防止に役立つことになるのではないか。
 

 幸い、早期に和解を成立させることができ、病院側代理人の尽力もあって、和解調書に、「被告法人は、本件事故につき、医療法6条の10第1項の医療事故として、医療事故調査・支援センターに対して報告を行う」という条項を盛り込むことができました。

 訴訟前の示談で医療事故調査を条件とした事案としては、本HPに解決事例として報告している「HELLP症候群による産後出産により死亡した事例」がありますが、訴訟上の和解で医療事故調査を条件としたのは本件が初めてです。そのため、NHKが報道してくれて、医療事故調査制度に注目が集まったことは嬉しいことでした。

 事務所ブログ「医療事故報告を条件に和解」、「報告を要する医療事故とは」でも詳細に報告していますので、興味のある方は是非、お読みください。

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