Aさんが、B産科クリニックで生まれたのは、午前2時14分のことです。
午前2時15分(生後1分)のアプガースコアは5点(心拍2点、筋緊張1点、反射1点、皮膚色1点)であり、刺激や羊水吸引が行われたものの、第一啼泣はありませんでした。午前2時16分(生後2分)、羊水吸引や酸素投与が行われるとともに、バッグ・マスクによる人工呼吸が開始されました。
午前2時19分(生後5分)、アプガースコアは1点(心拍1点)で、高次医療機関NICUへの搬送が決定されました。
午前2時24分(生後10分)、心拍数が60回/分となったため胸骨圧迫が開始され、午前2時28分(生後14分)、咽頭鏡下に、粘稠性の高い痰様のものが吸引されました。午前2時30分(生後16分)、気管挿管が行われ、心拍数は100回/分以上となりました。
3時10分(生後56分)、C大学病院NICUに搬入されて治療が開始されましたが、低酸素性虚血性脳症により、脳性麻痺(痙性四肢麻痺)を原因とする四肢体幹機能障害、及び知的障害の後遺症を残しました。
相手方クリニックは、蘇生措置の不手際は認めず、脳性麻痺の原因も、先天的な素因があるのではないかとして因果関係を争う姿勢を示していましたが、わたしたちは、小児科協力医のレクチャーをもとに、各種文献を調査し、①気道吸引に使用したカテーテルの選択ミス、②喉頭鏡使用下での気道吸引の遅れの2点を過失として損害賠償を請求しました。具体的には、①羊水混濁がある場合の気道吸引には、胎便による気道閉塞を防止するため、12〜14Frといった太めのサイズのカテーテルを用いるべきところ、8Frという細いカテーテルが使用されていること、②バック・マスクによる人工呼吸が実施されているにもかかわらず容態が改善しなかったのだから、その原因を検索・除去するために早急に喉頭鏡による気道吸引を行うべきところ、喉頭鏡下に「粘稠性の高い痰様のもの」を吸引したのは人工呼吸開始から12分後であったことの二つです。
その後に出た産科医療補償制度の原因分析報告書は、脳性麻痺は先天的な要因によるものではなく出生後の呼吸障害であることを指摘するものでした。しかし、蘇生措置については、Aさんのご両親が、上記①、②の問題点を指摘していたにもかかわらず、「一般的である」としていました。「家族からの疑問・質問に対する回答書」には、その理由として、①については、吸引に用いられたカテーテルのサイズがカルテに記載がなく不明であること、②については、2015年版新生児蘇生ガイドラインのアルゴリズムでは、90%以上の仮死児はバッグ・マスク換気だけで蘇生するので急いで挿管しなくてよいとされていることが挙げられていました。
しかし、吸引に用いられたカテーテルのサイズは、事前の調査で相手方クリニックとの間で事実確認がなされており、8Frであったことに争いはありませんでした。また、ガイドラインが「急いで挿管しなくてよい」としているのは、「90%以上の仮死児はバッグ・マスク換気だけで蘇生する」からであって、バッグ・マスク換気をしているにもかかわらずアプガースコアが5点から1点に低下している本件の場合に該当するのは到底思えません。
そこで、この段階で、改めて相手方に対して、行われた蘇生措置の問題点を指摘し、原因分析報告書の蘇生措置に関する検討は不十分なものであり、責任を否定する理由にはならない旨の書面を送付、相手方も責任を認めて示談が成立しました。
本件は、産科医療補償制度の原因分析報告書において「一般的」とされたにもかかわらず、責任を前提とした示談が成立したケースです。
2009年から開始された産科医療補償制度は、分娩に関して発症した脳性麻痺の小児について、合計3000万円の補償(過失の有無を問わない)を行うとともに、再発防止のためにその原因分析を行う制度です。
その原因分析は、産科領域についてはかなり丁寧に行われますので、原因分析報告書で、その医療行為が「一般的」といわれてしまうと、責任を問うのはかなり難しいというのがわたしたちの実感です。しかし、新生児蘇生の領域については、必ずしもそうではありません。これは、産科医療補償制度の原因分析に関わっている医師の圧倒的多数が産科医であり新生児の専門家の関わりが薄いこと、原因分析はあくまでも医療記録を資料として行うものであるところ、産科の記録に蘇生に関する情報が薄いことにあるのではないかと思っています。