趣味
2026/01/01

清少納言①〜日本で最初の、ひょっとしたら世界で最初のエッセスト

 あけましておめでとうございます<(_ _)>

 

 正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めづらしう霞みこめたるに、世にありとある人は皆、姿、形、心異につくろひ、君をも我をも祝ひなどしたる、様異に、をかし。(枕草子第二段「ころは正月」)

 

 昨年はじめに、事務所のホームページをリニューアルし、1年かけて、医療過誤事件解決事例のコンテンツの充実に努めてきましたが、あまり仕事の話ばかりでも殺風景なので、今年から、ブログにて趣味の話などもさせていただきたいと思っております。

 おつきあいいただければ、幸甚です(^_^)

 

 

 さて、冒頭に引用した枕草子、今日的な観点からみれば随筆に分類されるであろうこのような文章は、少なくともそれまでの日本にはまったく類例をみません。

 ひょっとしたら世界的にもそうかもしれない。エッセイの起源が、モンテーニュの「エセー」であるとの説に従えば、それよりも600年くらい早い。エッセイの萌芽が、キケロとかセネカといった古代ローマの文人に見られるとしても、それはおそらく哲学や宗教に関する考察を中心としたものであって、枕草子みたいに好きなことを書きたい放題に書き散らすといった体裁のものではなかったのではないか。仮にそんなものが古代ローマにかつて存在したとしても、それはあっさりと散逸してしまっていて、今日には残っていないのではないか。つまり、こういった文章を価値のあるものとして筆写を繰り返し、後代に伝えようといういうのは、日本独自の文化ではないのか。

 ここまでいってしまうと賞賛しているのか腐しているのかよく分からなってしまいますが、おそらく、それくらい独特なものです。

 

 例えば源氏物語には、『竹取』、『宇津保』、『落窪』という先行作品群があります。これは、今日、読める形で残っているものを挙げただけで、清少納言が宮仕えをしていた当時、おびただしい数の小説(つくり物語)が存在していました。

 

 物語は、住吉。宇津保。殿うつり。国譲りはにくし。埋れ木。月待つ女。梅壺の大将。道心すすむる。松ヶ枝。こまのの物語は、古蝙蝠さがし出でて、持て行きしが、をかしきなり。ものうらやみの中将、宰相に子うませて形見の衣など乞ひたるぞ、にくき。交野の少将。(枕草子第201段「物語は」)

 

 女房たちは、物語の評価を語り合い、そして、その中からまた新しい物語が紡ぎ出されていく。おそらく、100年以上にわたるそのような営為の積み重ねの中から、源氏物語という王朝文学の最高峰は誕生しました。

 

 枕草子にはそれがありません。

 いったい、なにを考えて清少納言がこの枕草子という作品を書き始めたのか。いろいろな人がいろいろなことを言っています。でも、なぜこのような形をとったのか、という問への答をみたことはありません。

 ただ一つ言えるのは、この形であればこそ、清少納言の能力が最大限発揮されたのだということ、そして、この形に最も適した能力を持った清少納言が書いたからこそ、多くの読者に受け入れられ、後代に受け継がれたのだということだと思います。清少納言がこの形式を選んだのか、この形式が清少納言を選んだのか。いずれにしても、1000年以上にわたり、読者たちは、後代に伝えるべき文学的遺産として、枕草子という作品を選び続けてきたのであり、その結果、この作品は、日本最古の随筆、ひょっとしたら世界最古の随筆という地位を保ち続けているわけです。

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