Aさん(76歳男性)は、離島で、奥さんと二人、お酒屋さんを営んでいました。ある日、自宅で転倒し、後頚部痛、両手の痺れを訴えて地元の病院を受診、頸椎歯突起骨折と診断されました。
頸椎の最上部は、輪状の第1頸椎(環椎)に、第2頸椎(軸椎)上部の突起部が嵌入する形で繋がっており(環軸関節)、この突起部を歯突起といいます。若年者の歯突起骨折の多くは交通事故などの高エネルギー外傷によるものですが、高齢者の場合、転倒等の低エネルギー外傷でもこの骨折が起こり、人口の高齢化とともに、歯突起骨折の症例が増加していると言われています。
Aさんはその場で入院となり、2日間のカラー固定を経て、3日目にハローベストが装着されました。
ハローベストは、患者の頭部と胴部を固定し、頚椎を外部から牽引を加えて固定するもので、頸椎骨折等の手術前、手術中、手術後の数ヵ月にわたる固定に使用される医療用具です。頭部を固定するリングを、聖者の頭上に描かれる光輪(halo)に見立てて、このように命名されたもののようです。
固定から約1ヶ月半が経過した頃、Aさんから、リングを頭に固定する左後方スカルピンが動いているように感じられるとの訴えがあり、診察したところ、左後方スカルピン刺入部より軽度出血、発赤がみられました。その夜から、Aさんは強い頭痛を訴えるようになり、翌日、スカルピンの締め直しが行われました。その締め直し直後にはいったん頭痛が治まりますが、その翌日から再び頭痛が増強し、頭部CTで、左後方スカルピンが頭蓋骨を穿破し、約1センチ程度、頭蓋内に侵入していることが確認されました。
Aさんはドクターヘリで脳神経外科のある病院に搬送され、そこでスカルピンの抜去と頸椎固定術が行われました。手術前には、既にAさんの意識レベルは低下し、声掛けにも開眼しない状態となっていました。スカルピン抜去後の頭部CTで、脳室と交通する左頭頂葉皮質下出血がみられており、意識レベル低下との関係から、手術前から出血が起きていたものと考えられます。
術後、Aには右片麻痺と感覚性失語の後遺症が残り、障害高齢者生活自立度(寝たきり度)はB1(屋内の生活は何らかの介助を要し、日中もベッド生活が主体であるが坐位を保つ…車椅子に移乗し、食事・排泄はベッドから離れて行う)、認知症高齢者生活自立度はⅣ(日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さが頻繁に見られ、常に介護を必要とする)で、要介護4に認定されています。
頸椎骨折に対するハローベスト固定の適応については、施設によってさまざまな考え方があるようです。例えば、「高齢者における軸椎歯突起骨折の診断と治療」(整形・災害外科61巻3号)には、「従来、歯突起骨折の治療は年齢や骨折型にかかわらずハローベストによる外固定が主流であった。2000年代になり、Ⅰ型(歯突起先端の斜骨折)及び転位が5㎜未満のⅢ型(骨折が第2椎体に及ぶもの)に対しては6〜8週間のカラー固定で良好な骨癒合が見込めることが判明し、骨折型に合わせた治療選択が可能になった」として、「当院でも2011年までは、初期治療としてハローベスト固定を第一選択としていた。しかし高齢者ではⅢ型でも整復位が保持できずに手術を要した症例や、高頻度に肺炎やせん妄などの合併症を認めた。合併症による死亡率の高さからハローベスト装着は死刑宣告に等しいとの報告もあり、高齢者へのハローベスト固定は現在では推奨されない」との考え方が示されていました。
本件では、ほとんど転位のないⅢ型歯突起骨折でしたが、頸椎固定術ができない離島の病院でもあったことから、ハローベスト固定が選択されたようです。しかし、主治医はこれまでハローベストを使用したことがなく、当然ながらスカルピンの締め直しを行うのも初めてのことでした。
スカルピンの頭蓋内穿破を扱った文献には、「先行する表層感染により骨へ感染が波及し、ここにピンの圧力による骨壊死からの内板の菲薄化、脆弱化が加わることであり、これによりピンの緩みや刺入部からの滲出液の持続、頭痛等の先駆症状が起こると考えられる。この時点での同一部位の締め直しは、ピンが穿孔する危険を伴うため避けるべきであり、他部位のピンの差替が望ましい」というものがあり、(頸椎外傷・疾患に対するハローベスト固定におけるピン刺入部に関する重症合併症の検討:Journal of Spine Reserch 2巻4号)があり、締め直し前にみられた左後方スカルピン刺入部からの出血、発赤はその徴候を示していたものであった可能性もあります。また、このハローベストの添付文書には、「締め直す際のトルクについては十分な検討を行うこと。1.8㎏(4ポンド)を超えない範囲で締め直すことが推奨される」という注意が記されていますが、主治医はこのことをまったく意識せず、単に手応えだけを頼りに締め直しを行ったとのことでした。
この事件は、病院がスカルピン締め直しに過失があったことを認め、後遺障害等級2級(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、随時介護を要するもの)相当の慰謝料及び介護費用を内容とする訴訟前の示談が成立しています。