小学4年生のAくんは、帰宅途中、自転車で転んで頭を打ちました。お母さんが、頭痛を訴えるAくんの頭を冷やしてあげているうちに、Aくんはうとうとと眠り込んでしまいました。目が覚めた後、さらに頭痛を訴えるAくんを、お母さんは近所のクリニックに連れて行きました。そこで、頭蓋骨線状骨折・硬膜外血腫と診断され、夜間、総合病院に救急搬送されました。
担当医は、搬入時点で意識清明であったことから、血腫除去術を行わずに、保存的に観察することにしました。しかし、入院翌日の未明から、Aくんは嘔吐を繰り返し、頭痛の訴えも増強、2日目の朝には「意識レベル0〜若干ぼんやりしている」、夜には「呼名に肯きあるも発語なくもうろうとした様子」、「意識レベル〜10」と、意識レベルも低下していきました。そして、この夜中には、激しい頭痛に泣き叫んで転げ回るような状態となり、3日目の朝には瞳孔不同が出現、全身痙攣を来したあと、呼吸が停止してしました。
緊急で撮影された頭部MRIは、著明な脳ヘルニアの所見を示しており、MRAには、脳血管はほとんど映っていませんでした。
気管内挿管などの救命措置で、Aくんは一命をとりとめましたが、回復不能な遷延性意識障害、いわゆる植物状態となってしまいました。
急性硬膜外血腫は、頭蓋内合併症がなければ治療で良好な転帰となる可能性が高く、迅速で的確な判断が求められます。厚さ10〜20㎜または20〜30㎖以上の血腫に対しては原則として開頭の血腫除去術が勧められます。
搬入時の頭部CTをみると、血腫の厚さは約18㎜、推定血腫量は約26㎖であり、血腫除去術を行うかどうかのボーダーライン上の大きさだったようです。わたしたちが相談した脳外科医は、硬膜外血腫の部位が側頭葉であること、若年者は高齢者と異なり頭蓋内に余裕がないことから、この時点で開頭血腫除去術に踏み切るべきとの見解でした。
担当医は、搬入時点の意識状態から保存的観察を選択したのですが、入院翌日及び2日目の午前中、さらには2日目の夜に撮影されたCTで血腫の増大傾向がなかったことも、手術に踏み切らなかった大きな要因だったようです。しかし、Aくんの症状は確実に悪化していました。2日目午前中のCT撮影後には、心拍数45〜50という記録があります。Aくんの年齢からいえば心拍数の正常値は80〜100であり、この徐脈傾向はおそらく頭蓋内圧亢進を反映したもの(クッシング現象)だったのではないでしょうか。
遅くとも、繰り返す嘔吐、増強する頭痛といった臨床経過からみれば、遅くとも「意識レベル〜10」という意識レベルの低下がみられた2日目の夜には手術が必要だったのではないかと思われます。
示談成立までに1年以上かかりましたが、それは、植物状態になったAくんを、今後どのようにケアしていくかという問題があったからです。お母さんは退院を望みつつも、子どもを自宅に引き取るための条件整備と、再入院が必要となった場合の受け皿に頭を悩ませていました。
最終的には、示談書に、「乙(病院)は、甲(患児)が将来入院による治療や療養を必要とする状況になった場合は、可能な限り速やかに乙病院に甲を受け入れ、その治療を開始するものとする。ただし、同病院において、空きベッド等の関係で直ちに受け入れることが不可能な場合、同病院と同レベル以上の医療を提供できる他の医療機関を適切に紹介するものとする」という条項を入れて解決することになりました。
示談成立後、ICUで、担当医が患児とお母さんに謝罪をしました。涙ぐむ担当医に、院長が、「この患者さんのことを一生忘れないように」と声をかけていたことを印象深く記憶しています。この経験を活かして、同じことを繰りかえさないように頑張っていてほしいと心から思います。
その後、お母さんは、さまざまな条件を整え、脳死状態になった子どもさんを自宅に連れ帰りました。それから約10カ月、周囲の協力を得ながら、自宅で、2人で過ごしたそうです。