外科系
2025/06/18

睡眠時無呼吸症候群の患者が、橈骨骨折に対する観血的整復術後、自室に搬送途中に心肺停止となり、そのまま死亡した事例(訴訟前の示談)

 Aさんは、当時52歳の男性。5年前に睡眠時無呼吸症候群と診断され、夜間C−PAP自己装着を行っていました。

 自宅で転倒し、左橈骨遠位端骨折と診断され、B病院にて観血的整復術を受けることになりました。B病院でも、Aさんが睡眠時無呼吸症候群であることは把握しており、それを前提として麻酔方法の検討が行われています。実際に採用されたのは、全身麻酔ではあるものの、自発呼吸を完全には止めず、ラリンジアルマスクによって呼吸を管理するという方法でした。

 この事件では麻酔記録が3通作成されており、時系列がやや曖昧な部分があるのですが、当日の13時頃に麻酔が開始されて、ラリンジアルマスクによる気道確保が行われ、15時頃に手術が終了、ラリンジアルマスクが抜去されたというあたりは、ほぼ間違いなさそうです。

 手術終了後、Aさんはレントゲン室に搬送され、左腕のレントゲン写真が撮影されました。この時点の患者の様子は、「未覚醒、時折深大性の呼吸あり、鼻腔エアウェイ施行中であるが舌根沈下気味でいびき様の呼吸をしている」であったことがカルテに残されています。

 レントゲン室から自室に戻るエレベーター内で、Aさんのいびきが止みました。胸郭の動きはなく、サチュレーションモニターの示す酸素飽和度も50%台に低下していました。スタッフは下顎挙上で気道を確保しつつ搬送しましたが、自室に到着した時点では、橈骨動脈の脈は触れるものの、意識レベルはⅢ−300(深昏睡)の状態でした。心電図上の不整脈は、心室細動から無脈性電気活動となり、気管内挿管、心臓マッサージ、アドレナリン投与などの蘇生措置にも反応せず、約1ヶ月にわたる植物状態を経て亡くなりました。

 死亡診断書の直接死因は、低酸素脳症、その原因は、窒息です。

 睡眠時無呼吸症候群とは、睡眠時の無呼吸により低酸素血症をきたす病態で、7時間の睡眠中に30回以上の無呼吸(10秒以上の換気の停止)が認められるもの、あるいは1時間あたりの無呼吸回数が5回/時以上のものと定義されています。

 睡眠時無呼吸症候群の患者は、気道が狭くなりやすいことから、麻酔時の呼吸管理に困難を伴います

 ラリンジアルマスクは、気管内挿管に比較して侵襲性が少なく操作が簡単で、かつ、喉頭を包み込む構造のため舌根、軟口蓋、喉頭蓋による気道閉塞を回避し得るというメリットがあります。本件で使用されたのもそのためでした。

 しかし、麻酔から完全に覚醒しない状態でラリンジアルマスクを抜去してしまえば、気道閉塞の危険があります。本件でのラリンジアルマスク抜去時の患者は、「刺激や呼びかけに対して返事あり」という状態ではありましたが、眼は開いていませんでした、また、四肢従命運動の可否も確認されていませんでした

 前述のとおり、本件では麻酔記録が3通作成されており、ラリンジアルマスク抜去後の酸素飽和度の数値は、記録によって異なります(このこと自体大きな問題なのですがそれは措きます)。しかし、抜去後まもなく経鼻エアウェイが挿入されていることからすれば、酸素飽和度の低下がみられたというのが事実でしょう。つまり未覚醒の状態でラリンジアルマスクを抜去したために、気道閉塞が生じたものと思われます。

 

 上気道閉塞は、主として、舌根沈下、軟口蓋、喉頭蓋によって起こります。経鼻エアウェイは、舌根沈下及び軟口蓋による気道閉塞を介助することができますが、喉頭蓋による気道閉塞は防げません。一方、下顎挙上は、舌根沈下や喉頭蓋による気道閉塞をある程度介助することができますが、軟口蓋による気道閉塞は解除できないとされています。

 このことからすれば、やはり十分な覚醒を確認しないままラリンジアルマスクを抜去したことが問題であったと言わざるを得ません。

 また、仮にラリンジアルマスク抜去後に気道閉塞が起こったとしても、レントゲン室に寄らずに、直接自室に戻ってC−PAPを装着するということも考えられたのではないかと思います。なにも、レントゲン撮影を急ぐ必要はなかったはずです。

 本件は、訴訟前の交渉で、病院が責任を認め、示談が成立しました。示談書には、「乙(病院)は、甲(遺族)に対し、本件手術の呼吸管理に手落ちがあったことを認め、謝罪する」という一項が入っています。

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