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2026/02/28

中宮定子③〜一条帝と

 …二月には内大臣殿の大姫君、内へ参らせ給ふ有様、いみじうののしらせ給へり。殿の有様、北の方など宮仕にならひ給へれば、いたう奥ぶかなる事をば、いとわろきものに思して、今めかしう氣近き御有様なり。姫君十六ばかりに在します。やがてその夜の内に、女御にならせ給ひぬ。

(栄華物語第参 さまざまのよろこび)

 

 ここでは16才とされていますが、歴史的には、入内した時点の定子は、数え年の15才、相手の一条天皇は4才下の11才であったとされています。いまでいえば、だいたい中学2年生の女の子と、小学4年生の男の子ですね。この年頃で4才差は大きい。きっと、一条帝は、定子を姉のように慕ったことでしょう。

 このふたりが示し合わせて側近に悪戯したエピソードを、清少納言は書きとめています。一条帝の父親である円融院の諒闇の明けた年、というから、おそらく没後1年を経過した承歴3年(992年)のこと、一条帝の乳母である藤三位の許に、誰からとも分からない手紙が届きます。

 そこには、老法師のいみじげなる筆跡で、こんな歌が書かれていました。

 

 これをだに かたみと思ふに 都には 葉がへやしつる 椎柴の袖

 まるで、喪服を脱ぐのを咎めるかのような歌を届けてきたのはいったい誰なのか。

 ああでもないこうでもないと頭を悩ませる藤三位。一条帝と中宮に報告すると、中宮が、「……法師のことあめれ。昔の鬼のしわざとこそおぼゆれ」などと真顔で応対するのだけれど、それを聞いていた一条帝が笑い出して、二人の悪戯だったことが露見します。

 

……「など、かくははからせおはしまししぞ。なお疑いもなく、手をうち洗ひて伏し拝みたてまつりしことよ」と笑ひねたがりゐたまへるさまも、いとほこりかに愛敬づきて、をかし。

(枕草子第一三三段 円融院の御果の年)

 

 残念ながら、わたしにはこの悪戯の面白さがよく分からない(^_^;)

 でも、藤三位をからかった一条帝と定子も、からかわれた藤三位も、とても愉しそうです。これは、清少納言が出仕する前の出来事であり、定子自身が、一条帝との思い出話として清少納言に聞かせたものと思われます。その場に、一条帝も居合わせて、定子とともに笑ったかもしれません。

 

 つとめて、日さし出づるまで式部のおもとと小廂に寝たるに、奥の遣戸をあけさせ給ひて、上の御前・宮の御前出でさせ給へば、起きもあへずまどふを、いみじく笑はせ給ふ。唐衣をただ汗衫の上にうち着て、宿直物も何もうづもれながらある上におはしまして、陣より出で入る者ども御覧ず。殿上人の、つゆ知らでより来て物いふなどもあるを、「けしきな見せそ」とて、笑はせ給ふ。

(第四六段 職の御曹司の西表の立蔀のもとにて)

 

 清少納言が、同僚の式部のおもとといっしょに部屋で寝ていたら、朝早くに、一条帝と中宮がやってきた、という場面です。もちろん、そんなところにいきなり天皇と皇后がやってくるなんて思ってもいないので、女房としては大慌て。一条帝夫妻は、その姿に大笑いしながら、「わたしたちがここにいることがバレないように」と言い含めて、その部屋から、内裏に出勤する人たちの姿を眺めます。

 定子の、「今めかしう氣近き御有様」(栄華物語)に、一条帝も感化されていたんでしょうね。

 ところで、このエピソード、わたしはなんとなく、「円融帝の御果の年」からあまり遠くない時期のことのように思っていました。清少納言出仕後のことではありますが、定子と一条帝の茶目っ気が、いかにも若々しいので。

 でも、舞台は職の御曹司ですし、前後に登場する頭の弁が藤原行成であるとすれば、どうやら、かなり遅い時期、つまり中関白家の家運が傾いた後のエピソードであることは間違いなさそうです。

 そういう時期での仲睦まじさであると思えば、また別の感慨があります。

 

……「思うべしや、いなや、人、第一ならずは、いかに」と書かせたまへり。……「九品蓮台のあひだには、下品といふとも」など書きてまゐらせたれば、「むげに思ひくんじにけり。いとわろし。言ひとぢめつることは、さてこそあらめ」と、のたまはす。「それは、人にしたがひてこそ」と申せば、「そが、わろきぞかし。第一の人に、また一に思はれむとこそ思はめ」と、おほせらる、いとをかし。

(第九七段 御方々、君たち、上人など)

 考えてみよ、そなた、一番でなかったら、どう思う、という定子の問い。

 もともと、二番、三番ではイヤだ、一番になりたい、というのは、清少納言の持論でした。そういった清少納言の持論は、他の女官たちから、「一乗の法ななり」と笑われていたようです。これは、法相宗と天台宗との間の三一権実論争(成仏するのに、声聞・縁覚・菩薩という三つの道があるという法相宗と、それは説明の便宜であって、成仏するには一つの道しかないという天台宗の論争)を踏まえた話で、「あなた、まるで天台宗のお坊さんみたいなことを言うのね」という意味だと思います。

 ところが、この定子の問に対して、清少納言は、「九品蓮台のあひだには、下品といふとも」なんて答えてしまいました。極楽浄土に往生できるものであれば、その一番ビリッ尻で構いません。つまり、愛してもらえるのなら、末席でも構わない、ということでしょうか。

 「えらくまた卑屈な話ね、あなた、日頃から言ってることと違うんじゃない」

 「だって、それは、相手にもよります」

 「それがダメだっていうのよ、一番ステキな人に、自分が一番愛されたいって、そう思わなくっちゃ!」

 定子と清少納言とのやりとりが、活き活きと描かれた章段の一つで、ぼくはこの場面を読む度に、目をキラキラと輝かせる定子の姿を思い浮かべます。

 でも、その印象は、このエピソードがいつ頃のことであるかによって変わってきます。この枕草子の文章だけからいえば、そこに浮かび上がるのは、ただひたすらに一条帝を愛し、そして、一条帝から愛されていることを疑わない定子の姿なのですが、これが、仮に、長保元年(999年)の、彰子入内の頃の話であると考えたら、話は違ってきます。清少納言の答えも、実は、いろいろなことに配慮した答えだった可能性もあります。

 しかし、そういったことを微塵も感じさせないところが、この枕草子という作品の特徴とも言えそうです。

 

 

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