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2026/01/08

清少納言②〜春はあけぼの

 春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこし明りて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。(枕草子第一段 春はあけぼの)

 

 この書き出しの一行は、今日の日本人にとって、最も馴染み深い古文ではないかと思います。「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり。伽羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす」という平家物語の冒頭とどっちだと言われると迷いますが、それと一、二を争う認知度でしょう。

 

 では、当時の人は、この「春はあけぼの」という文章をどう受け止めたのか。

 

 清少納言以前、春という季節を代表する景物は、若菜、梅、桜、山吹、藤といった植物であり、鶯の声であり、霞む空でした。「あけぼの」という特定の時間帯が春という季節に結びつけられて語られたことはなかったし、そもそも、「あけぼの」という言葉自体、万葉集はもちろんのこと、古今集にも出現しない、ごくごく新しい言葉であるらしい。その時間帯を表現する言葉としては、「あさぼらけ」が一般的だったようです。実は、枕草子全篇を見渡しても、「あけぼの」という言葉が登場するのは、この冒頭だけです。

 それだけに、当時の人には、極めて鮮烈な印象を与えたと思われます。

 

 

 そして、それをもっとも敏感に受け止めたのが、後輩の和泉式部であり、紫式部でした。

 

 恋しさも 秋の夕べに おとらぬは 霞たな引く 春のあけぼの(和泉式部続集1090)

 

 秋の夕べに対比させて春のあけぼのの魅力を歌うこの作品は、おそらくは、枕草子の第一段を意識したものでしょう。

 勅撰集で「あけぼの」という言葉が初めて登場するのは、枕草子から100年以上を経て編まれた後拾遺集です。源為義作。保元の乱で崇徳上皇側で闘って、敗戦後、息子の義朝から斬られた、あの為義ではなくて、たぶん同姓同名の別人です。

 

 花盛り 春のみ山の あけぼのに 思ひ忘るな 秋の夕暮れ(後拾遺集1103)

 

 この頃には、既に「春はあけぼの」という美意識が定着していたものと思われます。

 

 紫式部はといえば、源氏物語には、「あけぼの」という言葉が14回登場するそうです。「あけぼの」という言葉を発見したのが清少納言であるとすれば、それを日本語に定着させたのは、紫式部の功績なのかもしれません。

 登場する場面を一つ一つ記憶しているわけではありませんが、印象深いのは、「薄雲」帖での春秋論争です。

 

 女君に、「女御の、秋に心を寄せ給へりしもあはれに、君の、春のあけぼのに心染め給へるもことわりにこそあれ。時々につけたる木草の花に寄せても、御心とまるばかりの遊びなどしてしかな」と、「公私の営みしげき身こそふさはしからね、いかに思ふことしてしがな」と、「ただ御ためさうざうしくやと思ふこそ心ぐるしけれ」など語らひきこえ給ふ。(源氏物語 薄雲)

 

 斎宮女御が秋に心を寄せているのもよく分かるし(この女御は後に中宮となり、この下りに因んで「秋好中宮」と呼ばれることになります)、あなた(紫の上)が春のあけぼのに惹かれるのももっともです……と、どちらにも花を持たせる光源氏。

 春と秋とのどちらが良いかを論ずる春秋論争は、万葉集の時代から、ディベート的な知的遊戯として愉しまれていたらしく、天智天皇の問に応えた額田王の歌が有名です。

 

 冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けども 山をしみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞしのふ 青きをば 置きてぞ歎く そこし恨めし 秋山そ我は

 冬木成春去来者不喧有之鳥毛来鳴奴不開有之花毛佐家礼杼山乎茂入而毛不取草深執手母不見秋山乃木葉乎見而者黄葉乎婆取而曽思努布青乎者置而曽歎久曽許之恨之秋山吾者

 

 そういった文化的伝統を踏まえて、秋好中宮と紫の上との春秋論争が描かれているわけですが、秋好中宮が秋が好きであるというのに対して、紫の上が好きなのは、単なる春ではなくて、「春のあけぼの」であることが注目されます。春秋論争で、なにも時間帯まで特定する必然性はないはずなのに。

 なんだかんだ言っても、紫式部は、清少納言のことが頭から離れないんですね。

 

 源氏物語における用例の最後は、浮舟の歌です。

 

 袖触れし 人こそ見えね 花の香の それかと匂ほふ 春の明けぼの(源氏物語 手習)

 

 出家した浮舟が思い浮かべている「袖ふれし人」はいったい誰なのか、薫か、匂宮か、あるいは他の誰かか、というのが物語の上では興味深い論点なのですが、「ああ、ここでもやっぱり、春はあけぼのなんだなあ」と作者の胸中を想像してみるのも一興です。

 

 

 

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