俵さん曰く「七九五首は七九五種」という源氏物語作中歌の中から、個人的に印象深い歌を挙げてみます。
山の端の心も知らでゆく月はうはの空にて影や絶えなむ(夕顔)
相手の正体も知らないまま、なにがしの院に連れ出されて、そこで物の怪に憑り殺されてしまう夕顔。どこかで見失われてしまうであろう月影は、可憐で、儚い彼女自身の運命を暗示していました。
かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらん(紫上)
源氏の生涯にわたる伴侶となる紫上の最初の歌です。
紫上は、源氏と藤壺との関係を知りません。だから、源氏がどうして自分を引き取ったのかも分からない。「書きそこなひつ」といったんは恥ずかしがって隠したこの歌には、そういう戸惑いや不安が率直に表現されています。
袖濡るる露のゆかりと思ふにも猶疎まれぬやまとなでしこ(藤壺)
ここで「やまとなでしこ」と呼ばれているのは、藤壺と源氏との間に生まれた、後の冷泉院。「疎まれぬ」を完了と取るのか、打ち消しととるのかで、歌の意味は全く変わってきますが、「思ふにも」からの逆接を考えれば、「…と思うのだけれども、それでもやっぱり疎ましく思ってしまう」と解すべきなのでしょうね。お腹を痛めたわが子さえ疎ましく思わざるを得ないほどに、彼女は難しい立場にありました。
神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへてをれるさか木ぞ(六条御息所)
斎宮となった娘について伊勢に下るという六条御息所の物語は、娘規子内親王の伊勢下向に同道した徽子女王の故事に準拠したものとされています。徽子女王も、伊勢斎宮を経て村上帝女御となり、歌と琴の名手として知られた人でした。斎宮女御の名で、拾遺集、後拾遺集、新古今集合わせて24首が入選しています。
六条御息所も物語中随一の教養人として描かれており、「葵」帖から、「賢木」帖にかけて、うわべを繕う源氏と、その実のなさを見透かす六条御息所の歌のやりとりは、紫式部の歌人としての能力が最高度に発揮された場面の一つではないかと思っています。
浅茅生の露の宿りに君を置きてよものあらしに静心なき(源氏)
藤壺への思い断ち難く、雲林院に参籠した源氏が、二条院で留守を守っている紫上に贈った歌です。
一条帝が辞世の歌で「君」と呼びかけたのは、皇后定子であるというのが行成の解釈でした。定子が土葬であり、一条帝も土葬を希望していたこと、そして定子の辞世歌に通ずる草葉の露のイメージからは、確かにそのように思えます。
しかし、「露の身の風の宿りに君を置きて」という上の句は、この源氏の歌を意識したものとしか思えません。
一条帝と定子の年齢差は、源氏と藤壺の年齢差に近く、一条帝と彰子との年齢差は、源氏と紫上の年齢差に似ています。そのことからすると、一条帝が最期に呼びかけたのは彰子なのではないか、という推測も成り立ちそうです。
思ふらん心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きかなやまむ(明石君)
源氏からの、「いぶせくも心にものを悩むかなやよやいかにと問ふ人をなみ」という歌に対する返歌。
あたしを想って悩んでると言われますけど、見たこともないあたしのことを想い悩むってどういうことなんでしょう。
見たこともない女性に懸想して歌を贈るというのは、われわれの感覚でこそ不思議に思えますが、当時としてはあたりまえだったはずです。それに対して、率直な疑問を呈するこの歌は、「空おぼれする朝顔の花」(紫式部集4)当時の、才気煥発な紫式部を思わせます。
その後の明石君は、どちらかといえば鬱々とした雰囲気を漂わせるようになりますが、紫式部自身もそうでした。式部が、最も自分に寄せて描いた女君は、たぶん、この人だったのではないでしょうか。
秋はてて霧のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔(朝顔姫君)
源氏物語に登場するヒロインで、ただ一人、源氏の求愛を拒み通したのが、朝顔姫君です。
この歌も、「見しをりの露忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらん」という挑発的な源氏の歌に対し、おっしゃるとおり、盛りは疾うに過ぎて生きているか枯れているかも分からないような私ですという返し。紫式部は、この朝顔姫君を、六条御息所と対比する形で描いているような部分があり、もともとは一人の人物として造形されていた段階があるのではないかとの説があります。
たちそひて消えやしなましうきことを思ひみだるる煙くらべに(女三宮)
これは、「いまはとて燃えむ煙もむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ」という未練気な柏木の歌に対する返し。俵さんの万智訳は、「誰が一番つらい思いをしているか煙となってくらべましょうか」というもの。
丸谷才一は、大野晋との対談「光る源氏の物語」で、この女三宮の歌を、源氏物語作中歌の最高傑作と激賞しています。
女三宮という人は、源氏の目からは、子どもみたいな、あまり魅力のない女性として描かれています。しかし、柏木にとってはそうではありませんでした。そして、紫式部の筆は、柏木との関係を経て変貌していく女三宮の姿を描き出します。
ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えしかげろふ(薫)
宇治十帖は、薫、匂宮という二人の男と、宇治の大君、中君、浮舟という三姉妹との関係を軸とする物語です。薫は、表向きは源氏の子ですが、実は柏木と女三宮との間の不義の子であり、頭中将の孫にあたります。匂宮は源氏の孫ですので、薫と匂宮との関係は、物語序盤の頭中将と源氏との関係が世代を超えて繰り返されているともいえます。そして若い頃の源氏のように厚顔に女性に迫るのは匂宮であり、薫は常に、その後塵を拝することになってしまうのでした。
薫が、想いをかけた宇治の大君は既に亡く、大君から託された中君は匂宮の許へ去り、そして大君の形代のように愛した浮舟も姿を消しました。
独り言のように詠まれたこの歌と、それに続く、「あるかなきかの」という呟きは、薫の内省的な人物像をくっきりと浮かび上がらせます。
亡きものに身をも人をも思ひつつ棄ててし世をぞさらに棄てつる(浮舟)
匂宮と薫の板挟み状態に悩んだ浮舟は、半ば心神喪失状態で宇治を出奔、行き倒れになっているところを横川の僧都に救われ、小野の里に匿われます。しかしそこでも浮舟に好意を抱く男に言い寄られ、ついに出家するに至ります。
宇治からの出奔で、薫も匂宮も、さらには自分自身をも棄てたつもりだった。しかし、いま、出家することによって、その棄てた世を、さらに棄てるのだ。
浮舟の生存を知った薫は、再会を望みますが、浮舟はそれを拒み通します。その拒絶の理由を、他の男に囲われているのだろうとしか想像できない薫。
さまざまな男女関係を描いてきたこの長い物語は、浮舟と薫とのすれ違いで終わります。その関係を象徴しているのが、薫の「かげろふ」の歌であり、浮舟のこの歌です。